「ちらかしんぼ」を生む高度さ・「三つの机のあるところ」展

Art Center Ongoingの秋本将人、臼井拓朗、益永梢子「三つの机のあるところ」展について。この展覧会での秋本将人の振りきれっぷりは相当なところまでいっている。もちろん、この展覧会は三人展であり、そして展示を見た人にはすぐに理解されると思うけれども、この展覧会は三人の作品が、まるで散らかった子供の部屋の様に/しかし、同時に極めて綿密に(あるいは精密に)構成されたもので、ここから一人の作家を取り上げることはフェアではないのかもしれない。それでも、僕の目には秋本将人はこの作品相互の関係性の中で、相当遠くまで飛距離を伸ばしていたように見えた。


注意しなければいけないのは、ここでの「飛距離」と言う言い方はけして「作品の質」とイコールではない、ということだ。おそらく、最も「飛距離が短い」のは臼井拓朗であり、その間くらいのところまで作品を「飛ばして」いるのは益永梢子だと思う。そして、個々の作品が「良い」か「それほどでもない」かは全く別の判断としてある。臼井拓朗の、モニターでデスクトップ上の諸道具がちかちかと点滅するように入れ替わり立ち替わりする映像は、ずっと見ていられるような質を持った作品だし、益永梢子の、生地と板と金具を組み合わせた作品も、その色彩と平面性とオブジェクト性の組み立てかたにおいて、はっとするほど知的なものだった。


秋本将人の、小さな木材に塗料(絵の具)を挟んでクッキー状にして、紙の箱に配列する作品は輪郭のくっきりした、工芸的な質も担保しながら同時に絵画性の中の諸知覚−味覚や触覚や嗅覚−を動員させるような複雑さを持っている。けれども、それ以外の、例えば紙の箱に納まっていた木片を床に散らかしてみたり、皿に盛った作品、あるいは簡易な箱を作業台として床におき、そのとなりに明らかに「作品を作った余り」をおいてみたりする作品は、ほとんど「作品」としての輪郭を失っていくぎりぎりのところにある。


これらの作品は、いわばかっちりとした「作品性」といったものから見たら相当遠い=飛距離が長いものであることは間違いないだろうけれども、例えばこれをお金を出して「所蔵」したり(はっきり記憶していないので間違いかもしれないが、作品表ではこれらの作品は非売だったように思う)しようとしたとき、相当に覚悟がいるだろう。少なくとも僕であれば「買う」となったら臼井か益永の作品を選ぶ。そして、なおかつ、美術という営みが人のどのような知性や感覚を刺激するかは、そのような「作品性」とは必ずしも一致していないのだとういうことがわかる。


もっといえば、そももそこのような様態の作品が、秋元一人の手で生み出された、と言っていいのかすら怪しい。搬入の現場はまったく不明だが、恐らく事前に精緻に計画されたというより、三人の間で一定のプランを持合いながら、それを基準に半ばインプロビゼーションで決められたのではないかと想像する。展示には高度なインプロビゼーションが介在しなければ到達しえない厳密さというものがあり、こういう厳密さは一度達成されてしまうと、事前のプランニングの、時間をかけた構築性には手が届かない複雑性に達することができる。「三つの机のあるところ」は、あきらかにこのような複雑性を成り立たせていた展示で、秋元の散乱的な作品はそのような複雑さによって支えられているのか、それもと秋元の作品がそのような複雑さを生んでいるのか判断がつかないところがある。


その意味で、やはりこの展覧会は個別の作家をフレームアップするべきではない性質のものかもしれない。同時に、最終的に展示として・作品として提示されてしまった時、個々の「作家」が析出されてしまうのもまた(おそらくは近代性に基づいた)美術というものの残酷さであることも無視できない。近所の子供たちが自宅に遊びに来て、自分のアトリエを遊び場にして帰って行った時(僕の自宅兼アトリエには「壁」がないので自動的にそうなる)、おうおうにして散らかったままのアトリエを片付けるのは、面倒でありながらそこに痕跡として残った子供たちの「熱量」を吹きこまれるようなわくわく感がある。子供たちにとって、家の中でありながら床に絵の具がべたべたとついていて、脚立やパネルが置いてあるアトリエは、普段自分たちが生活する部屋とは異なった感覚を開く契機となるだろうし、それを後から片付ける僕にとっては「制作」という、ある一定のフレームをその空間に設定してしまっている(日常的に制作していると、どうしてもそうなってしまう)アトリエに、まったく異なる運動原理が展開したことが、とても自分の風通しをよくするような感覚として残る。


そういった感覚は、アトリエでも遊び場でも家でもない、複数の契機のより糸のようなものから形成される。秋本将人、臼井拓朗、益永梢子の三人にとって、机とはそのような場所としてあったように僕には見えた。言うまでもないが、そのような場所を意図的に算出=産出するのには、単なる幼児性には全く不可能な深い知性と運動神経が必要なのであって、「三つの机のあるところ」展は、とにもかくにも最近見ることのできた展示の中では最も高度なものだった。その中でもっとも「ちらかしんぼ」だったのが秋本将人だったということなのかもしれないが、そのような固有名詞も、あくまで展示の事後性の中で浮かんでいるものだとは思う。