ミホミュージアム訪問―バーネット・ニューマン 特異点としての《十字架の道行き》

遅くなりましたが、音声ブログの更新です。MIHO MUSEUM (ミホミュージアム) で行われた「バーネット・ニューマン 十字架の道行」展について、画家の上田和彦さん、明治大学多摩美術大学 兼任講師の三松幸雄さんにご参加頂きました。


美術の窓」の展覧会紹介ページ


本編冒頭でも触れた通り、三松幸雄さんは今回の展覧会のカタログ制作、主にニューマンの言葉の選定と翻訳に関わり、展示期間中に講演も行っておられます。また、東京パブリッシングハウス刊のニューマンの本「崇高はいま」の編・訳者でもいらっしゃいます。


※追記
また、三松さん作成のレジュメがアップされています。これだけで十分刺激的なコンテンツです。


お二人はこの企画とは別途に、対談の企画を進められています。公開時期などはまだ未定、とのことですが、今回のこの音声ブログとも内容が関連するところがあるともお聞きしています。お楽しみに。


では、以下に3ファイルに分けてお送りします。ミホミュージアムのコレクションについても話したのですが、これは次回の更新とします。


1. 個別性・継起性・瞬間
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2. メディウム、光、人類史
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3. 現代アートとニューマン、絵画の始まりと継承、描くことと見ること
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なお、1.に関しては三松幸雄さんから以下の補足がありました。

議論に関して追加情報です。
 対話のなかで、ニューマンの作品には、同じところに――たとえば、《Onement I》で見出した場所に――立ち戻るようなところがある、という議論がなされていますが、この場合、「同じ」というのは、「同一」ということではないという点、議論の過程でもある程度は示せていますが、強調しておいてよいかと思います。
 手短に、若干の比喩も交えながら説明すると、「同一性」(identity)がA=Aであるのに対し、ここで言う「同じもの」(the same)は、それ自身においてAから非Aへの移行の運動を含むものです。
 後者は、いわゆる弁証法の推論や、自己自身を奪固有化する差延の働きなどにも見出されると思いますが、こうした移行の論理は、経験主義的でない観点から「実在」を捉えようとする場合、考察がある段階以上に進展するとしばしば考慮する必要が生じてくるように思います。
 ニューマンの絵画が同じところに立ち戻るというのは、「同一の」対象や動機というよりも、それ自身において異なる同じ〈起源〉に立ち戻る、ということです。つまり――The Stations of the Cross に関する文章で、ニューマン自身も述べていますが――それは最初に設定された「テーマ」を予測可能な形式のもとで「変奏」しているのではない、と。(それが変奏と化したとき、ニューマンが批判的に捉えていたかぎりでのモンドリアンの連作のように「幾何学的」になるのかもしれない。)
 なお、永瀬さんの論文と上田さんの対談(+矢野静明さん)も掲載されている『ART CRITIQUE』n.04(2014年)に所収の、ヤニス・クセナキスの音楽に関する拙論でも、上記の「同じもの」について、異なる観点から論じております[191-93頁]。ご参照いただければ幸いです。

ART CRITIQUE n.04(May,2014) メディウムのプロスティテューション

ART CRITIQUE n.04(May,2014) メディウムのプロスティテューション


また、主に2.での議論に関して三松さんから以下の補足がありました。

リオタールの議論に関して、三松が「形而上学」と言っているものは、リオタール自身の語法ではありません。
 リオタールは「形而上学」という語を、一般にハイデガーの「転回の思索」や存在史を経由した文脈のなかで用いており、ゆえにそれを積極的な学知の構想としては(必ずしも)参照しておらず、ニューマンに関しては、たとえば「思考されざるものの思考」とでも形容したかもしれません。
 とはいえ、リオタールはその絵画論のなかで、「そこにある(il y a)ということそれ自身」を描く、という絵画の「課題=任務」について述べています[「崇高と前衛」、『非人間的なもの』篠原資明他訳(法政大学出版局、2002年)、143頁]。
 対話のなかで私が言及している「形而上学」とは、こうした「存在論的」な「課題」のことを指しています。

非人間的なもの―時間についての講話 (叢書・ウニベルシタス)

非人間的なもの―時間についての講話 (叢書・ウニベルシタス)


3.の途中で「光」の話題が出た際、宗教と光について書かれた本について永瀬が触れていますが、これは「宗教への問い2 「光」の解読」という本でした。このアンソロジーの中で松浦寿夫さんが書かれていたのは「同時遍在性の魔」というテキストです。ボナールは全然関係ありませんでした(カンディンスキーアポリネールが取り上げられています)。お詫びして訂正します。

「光」の解読 (宗教への問い 2)

「光」の解読 (宗教への問い 2)


会話中、いくつか今回の展覧会に出ていない作品が言及されます。以下に関連するリンクを貼ります。


●ニューマン、ワンメント1


●ニューマン、存在せよ1


●ニューマン、アンナの光