絵画の空間

ギャラリー椿で好宮佐知子展(http://kgs-tokyo.jp/tsubaki/2003/031201b.htm)。
小さな作品が、小さな空間に品よく並んでいる。上記リンクだけだと雰囲気がつかめないかな。去年の個展はこんな感じだったらしい(http://www.presskit.co.jp/presskit/gallery/gan/yoshimiya/)。
パネルにしっくいを塗ってフレスコで描いたり、テンペラで描いたりしている。webの画像だと、趣味のよいイラストみたいに見えるかもしれないけど、これは「絵画」だと思った。なんでだろう。

まず絵画とイラストの違いは何かと言えば、「実物を見ないと経験できないもの」があるかどうかということになる。イラストというのは、メディア(主に印刷物)に載った時の「効果」が重要になる。対して、絵画というのは、メディアに載ってしまったとたん消えてしまう経験というものを、実作を見たときに観客に発生させるものだ。実作を見るプロセスが重要なのが絵画なんだと思う。

効果とプロセス。この二つはぜんぜん違うものなのに、最近「絵画」と銘打っているわりには「効果」のことしか考えていない物が多い。イラストを描いて美術館なりギャラリーなりにおけば「美術」なんだと勘違いしてる作品。そういうのは「美術」に対する怖れを知らないのと同時に、商業イラストというものを一番差別的に見てる。彼等は美術という世界を理解していないくせに、自分は美術の側に立ったつもりで「単なる印刷物とは違うところにいるよ」という顔をするのだ。

好宮佐知子の作品は、図柄だけみればクオリティーの高いイラストに見える。しかし、実作を見れば、そうでないことははっきりする。何が彼女の作品を絵画にしているのかといえば、乱暴に言ってしまえば「空間感覚」だと思える。
最初に好宮佐知子の作品で目につくのはフレスコやテンペラといった古典技法だろう。フレスコというのは中世ヨーロッパなどで壁画に使われた技法だ。教会などの壁面に塗られた生乾きのしっくいの上に水性顔料で絵を描く。水性だなんて、耐久性がなさそうに思えるけど、「生乾きのしっくい」に描くのがみそ。このしっくいは、乾燥すると表面に皮膜ができて絵を閉じ込めるから長もちする。
テンペラというのは、主に鶏卵を乳化させて、水に溶けながらも乾燥すると油性になるメディウムを作り、そこに顔料を溶かしこんで絵の具にして板などの基底材に描く技法。これも地中海沿岸で発達した後、油絵の具が出てくる中世期にヨーロッパで使われていた。

こういう技法で描かれた絵は、現在ではあまり見なれない種類の物質感を得る。
じゃ、この手の古典技法で描きさえすれば絵画になるのかと言えば、そんなことはない。この精緻な技を必要とする描画を使っているのに絵画になってない絵はいくらでもある。だから、好宮佐知子の作品を絵画にしている最も重要な要素は技法じゃない。その技法を含んだ空間の意識だ。

好宮佐知子の作品には、抽象的な空間がある。図柄としては具象的な風景や場所を描いてあるように見えるけど、すぐ気づくのはその構図の取り方が「変」だということだ。窓の枠の一部を拡大していたり、床に映った窓からの光りだけを描いてたりする。ありきたりな構図をちょっとズラすことで、具体的な空間が変質する。
そこで、更に先述の古典技法が、見なれない質感を作り出す。窓や壁が、窓や壁ならざるものに感じられてくる。構図と技法が作り出す「風景のずれ」が、具体的な風景を抽象的な空間にしてゆく。

この空間は、実際に作品を見なければ伝わらない。奇をてらった構図も古典技法の「味」に頼ったイラストもありふれている。それがきちんと絵画として成立しているのは、この画家の、ものすごく繊細な手付きと思考の積み重ねだと思う。その積み重ねが、ささやかに見えるこの作品たちに、絵画としての強度を与えている。ただ、ちょっと残念なのは、地下にある会場に辿り着く階段と前の廊下が、あまり良い環境とは思えないことだ。もったいないなぁ。

info
好宮佐知子展
〜12月6日 (土) まで
a.m.11:00〜p.m.6:00(最終日p.m.5:00)
ギャラリー椿
東京都中央区京橋 3-2-11 第百生命ビルB1F
TEL 03-3281-7808
地図はこちのページの一番下。
http://kgs-tokyo.jp/tsubaki.html