2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧
先日、茅場町のSAN-AI GALLERYで見たグループ・ショーでの南條敏之氏の写真が、ちょっと面白かった。南條氏の優れたいくつかの作品には、どこか写真とデッサンの狭間を形成するような奇妙な感覚がある。南條氏の写真を見るのは初めてではなくて、私は昨年川…
展覧会について。率直に言えば、私にとって展覧会とは作品の発表の場であるという事以上の意味は薄かった。少し考えが変ったのが昨年の2つの展示、殻々工房での個展と「うきぐも」展で、展覧会というのは単なるショー(あるいは売り出しでも何でもいいが)で…
・作品と言うのは基本的に役にたたない。それ自体自立したもので、もう少し踏み込んで言うなら、特定の役にたつものは厳密には作品でない。なんというか、空回りしている水車みたいなもので、そこに上手くアクセスすると時にはお腹を満たしてくれるものを作…
・音楽的な制作。自らのコンディションと世界の境界面としてのキャンバス。知覚の場は目や耳ではない。キャンバスだ。 ・制作を問うことを過大視することは危険だ。時としてその姿勢自体が目的化され、一見真面目な制作態度がそのまま一種のアリバイ工作に繋…
「六本木クロッシング」展が終わっている。もちろん複数の意味で。私は見に行っていない。以前このblogは「作品について何か言うなら見てから言え」と横断幕を張っている(参考:id:eyck:20071022)。展覧会は「作品」ではないが、少なくとも私はこれから「…
JR上野駅の正面玄関口(映画「おもひでぽろぽろ」でも丁寧に描写されていた猪熊弦一郎の壁画がある)エントランスの2F、いまひとつ上手に再利用できずに残されてしまったかのような空間で、改装休館中の東京ステーションギャラリーの企画による、「現代日本…
爆撃は続行される。様々な技術、多様な兵器によって大量の物資が投下される。大地はゆがみ、変形する。掘り返され、埋められ、堆積する。 そこには一見、それなりに緻密な計画があるように見える。しかし、にもかかわらず、作戦は何度となく繰り返される。見…
誰かが誰かから恩を受けているとか、だからあいつは誰それのことを誉めているのだとか、そんな事ばかりを一見物知り顔に(業界通?)言っている人に対して、私が聞きたいのは、そんなことはともかくとしてそこに産まれてしまった作品なりなんなりをあなたは…
子供は体重が4.5kgを超えた。ベビーバスが窮屈になってきた。お腹が丸く太り、新生児用の紙おむつを在庫切れを見計らってsサイズに切り替えた(母体が出産後実家にいた時、一緒にいた義兄の小学校1年生の子供が1日のおむつの消費量で在庫数を割って「このく…
・朝、部屋のカーテンをあけ、窓を開くと、外気が冷たく流れ込んでくる。晴れた空を高く一羽の鳥がついっと横切り、一声鳴く。日光が、いくつかの建物を切り出している。車が道路を走ってゆく。人が一人、歩いている。全てがくっきりと粒だって見える。目に…