肉を切らせて骨を断つ(あるいは、肉だけ切って骨折られちゃわないようにね)

高橋源一郎がWebサイトをはじめたらしい。
http://www.funk.ne.jp/~gen1rou/index.html/
「ハトメモ」さんでしりました。http://d.hatena.ne.jp/dice_que/

高橋源一郎はネットで流通している言葉に対して、以前非常にネガティブな発言をしていたので、これは何か大きな態度変更を示す出来事みたいに思われるかもしれない。でも、僕はむしろ、より戦略的な抵抗の意志の表明なんじゃないかと思う。
テレビへの抵抗を模索し続ける野田秀樹が、NODA-MAPの公演を1年休止したあと、松たか子を主演に起用したのと同じなんじゃないかな、と思う。「敵」に対して、やみくもに門を閉ざして対立し、摩擦を強めることは、実は敵を強化することにしか繋がらない。アメリカに対して9/11のテロを起こした者(ビン・ラディン?)が導いたのは、アメリカのより強硬な態度(アフガニスタンイラク侵攻)だったように。

蓮実重彦をして「半ば本気で森鴎外をライバル視している作家」といわしめた高橋源一郎は、反動的というよりは反動そのものの作家なのだと思う。こんな作家が、今小説を書くのはほとんど不可能なのだ。事実、最近の高橋源一郎の作品は、その不可能さを実体化させたような苦しい内容になっている。
主体?なにそれ?みたいな「小説」を書く綿矢りさみたいな立場とは、その困難さにおいてまったく質が違う。そんな高橋源一郎が、状況に負けて「Web日記」を書き始めたとは思えない。今さらそんな事をするくらいなら、もっと早い段階で転向して、吉本ばななみたいに、スムースに書いているはずなのだ。

だから、これは、厳しい立場にいる高橋源一郎の、ぎりぎりの選択なんじゃないかと思う。「敵」に対してやみくもに暴力をふるうのではなく、繊細に、強い意志でにじりより、相手と自分の接点をみつけて、あえて敵に繋がってみる。その結果、自分も変化してしまう恐怖を引き受けて、相手も変質させてしまおうというウイルスみたいな戦略。

今、自分を押しながそうとする強力なものと闘うには、この戦略しかないのかもしれない。高橋源一郎のこの闘いは、孤独だけども孤独じゃない。先述のように演劇では野田秀樹が同様の作戦を立てているし、実は、美術の分野でも、この手で状況に切込んでる人がいる。このページで取り上げてきた、無名だけど魅力的な美術家達は、みんなそういう作家だ。

もっとも、結果的に惨敗して取り込まれるという危険もでかい。野田秀樹が起用した松たか子紀伊国屋演劇賞を取ってしまったのは、もうギャグとしかいいようのない悲惨さだったし、村上隆も現在絶賛敗走中。なんか、ビックネームになってしまった人程、大ゴケしている気がする。
だから、高橋源一郎の今後の展開は、とても注目にあたいすると思う。