死後生きはじめる絵画

ギャラリー汲美で、山本弘展を見てきました。
10号くらいから50号くらいのキャンバスに、厚いマチエールの油絵の具で描かれています。一見抽象画にみえますが、注意深く見ると、それが具象画であることに気付きます。人物、風景、静物などです。それらのモチーフは、絵の具の量塊と色彩の中で再構成され、画面はとても形式的な展開を見せています。

戦後圧倒的支配力をもった、アメリカの現代美術に慣れてしまった人の目には新鮮に写るのではないでしょうか。ホワイトキューブの近代美術館の、広くフラットな展示空間で影響力をもつために巨大化していった現代絵画は、その基盤がアメリカにあるのです。しかし、山本弘は、正統的なヨーロッパの美術に依拠して作品を作っています。作品サイズも、その流れに基づいています。先行するマティスセザンヌから後期印象派、フォーブなどを基礎として、同時代のアンフォルメのムーブメントまでを、正確に理解し、リファレンスした日本人画家がいることは、驚きに値します(戦後ジャーナリスティックに取り上げられた画家が、いかに基礎教養が足りなかったかは、国立近代美術館などで彼らの作品を見ると明確でびっくりします)。

山本弘の絵の中心にあるのは色彩です。日本において、色彩というと、物質性を欠いた「光」に還元されがちです。それは例えば、写真のカラーフィルムにおいて明確に現れています。欧米のフィルムは、その「フィルムという物質感」を含めて色彩と捉えます。物質と光は不可分であり、具体的にはコクのあるカラー写真、物質感を伴ったプリントとしてあります。
それに対して、日本国内のフィルムメーカーは、フィルムの物質感を、極力感じさせないようにします。フィルムがなければ、その色彩は発生しないはずなのに、あたかもフィルムなど存在しなかったかのように、抵抗のない、光の波長だけが感じられるような仕上がりをめざしています。鮮やかでさっぱり?したものになるのです。

山本弘においては、日本人としては例外的に、物質と色彩が不可分なものとして現れます。そしてその物質と色彩が結びついたものとしての「油絵の具」、このヨーロッパの精神の心髄のような「油絵の具」を、極めて高い抽象性で構築してゆきます。表面的なタッチだけ追えば情念的な絵にみられがちかもしれませんが、この人の絵は、理知的なのです。

ですから、山本弘が戦前・戦後を通して自殺未遂を繰り返し、貧しい中でアルコールや薬物に依存しながら、ほぼ無名なまま製作活動を続け、1981年7月15日、妻娘を残して遂に自殺を成功させたという、いわゆる無頼派の人生を歩んだという事実を、あまり過大視することは、かえってこの画家の本質を隠すことになるかもしれません。美術において、同時代の評価というのはあまり当てにならなく、また絵画というのは、その画家の死の前の一定期間に(それが20代でも40代でも80代でも)重要な作品が出るものだという事も考えると、山本弘という人の記憶が薄れつつある今、我々はようやくその仕事の真価を検討しうる状況に立ち至ったのかもしれません。