ボードレールから藤枝晃雄・椹木野衣・岡崎乾二郎まで(2)

椹木野衣氏の「日本・現代・美術」は、「日本の現代の美術」の外部から、その内部を攻撃していこうとしています。デビュー作「シュミレーショニズム」において、ハウス、テクノなどのポップミュージックを援用しながら美術を包囲した椹木野衣氏(このペンネームは、言うまでも無く同名のバンドから取られています)は、「日本・現代・美術」において、さらに「日本の美(術)」という幻想に切込んでいきます。

日本の美術を成立させている条件をひとつづつ洗い出し、逆にそもそも「日本に美術など成立していない」ことを暴いていくことから始められるこの本は、水村美苗大江健三郎花田清輝など、文学領域を参照しながら、なお「成立していないのに成立してしまっている日本の・現代の・美術」を解体していきます。その方法論は、柄谷行人氏の「日本近代文学の起源」を想起させます。

この点でも椹木氏は、柄谷氏という美術の外部を意識しています。というより、外部を参照しながら内部の複雑な輪郭を描くことによって、常に外部との相互関係の元にある筈の美術、外部との「交接」の痕跡を忘却している、本来は異形の日本美術を浮き上がらせていき、その結果として、まるで自明のもののように扱われている「日本の美(術)」という閉じたイメージを撃っていくのです。

「日本での近代美術は、NHKホールで黄色い肌によって日本語で歌われるオペラのように、どこまでいってもキッチュなのだ」と言い切る椹木氏は、その「暴く力」を元に書かれたこの本から、最終的に「日本ゼロ年」という美術展を組織することで、明確に「日本の美術の状況」を、イメージに覆われることなのないあらわな光景として現出させるところにまで歩を進めます。

村上隆氏、会田誠氏、ヤノベケンジ氏、できやよい氏、大竹伸郎氏etc.といった作家群(奈良美智氏が注意深く除かれています)から岡本太郎を改めて浮かび上がらせるという展覧会は、日本の現代美術が抑圧し、忘れて来た「バラバラ・支離滅裂」な姿を改めて提示し、甘いイメージの中の「日本の美(術)」のウソよりも、「醜さ」の中にこそ多様な日本=明治以降に無理矢理統一させられた国の美術の可能性を改めて見い出そうという、まさに「日本ゼロ年」という名前にふさわしい内容でした。

この「日本・現代・美術」という本から、「日本ゼロ年」という展覧会への展開は、椹木氏の、ある意味極めて誠実な美術への態度表明と言えます。もはや「語る」だけでは、語った本人しか救われないということ。具体的に展覧会を行うことによって、あえて言うなら「殺してしまうことによる救済」を理念のレベルで実行すること。自分一人の言説を、酷い状況=「悪い場所」から切断してしまうだけでは、何も変わらない、今必要なのは現実的な行為だ、という姿勢は、今にいたるまで椹木氏の基準となっています。そしてこの椹木氏のこの動きは、湾岸戦争の際、文学者による反戦アピールを発表し「実践」「行動」の第一歩を踏み出しはじめた柄谷行人氏と、ある種の平行線を描いていると思えます。

この椹木氏の態度の裏には、先行するある書物への視線があったのかもしれません。そしてその先行する書物とは、実は藤枝氏やその他の「その道(内部)のプロ」によるものではなく、やはり美術の「外部」に立ち続けた浅田彰氏が編集した「モダニズムのハードコア」だったのではないでしょうか。(つづく)