フィレンツェ−芸術都市の誕生展

なんつの、全然書けねェよ。どういうこったよ。まぁよ、あんまし展覧会行ってないって言えばそれまでだけどよ。まったくってわけじゃないんだよ。でも行った先がマチス展の2回目だったりするとよ、どう書いていいかわかんねぇじゃん。前回書いたレビューも、改めて実作みたらなんかけっこう穴だらけというか間違いあるなぁ、ヤッベェなぁ、なんて思っちゃって、そしたら次書けなくなっちゃった。え?間違ってるなら修正しろ?ハイ、おっしゃる通り。


でよ、新たに見た展示といえば東京都美術館フィレンツェ-芸術都市の誕生展だったりするわけだが、これがもう泣きそうなくらい中途半端な展覧会。なんだよその喰いかけのチョコレートみたいなジョットーのフレスコ壁画の切れっぱしはよ。ギャグか。ダ・ビンチの模作とかダビデ像の模刻とか住宅の装飾彫刻の破片だとか、すげぇB級感全開。フィレンツェの現地で普段日の目をみない地味ーなブツをかきあつめちゃった感じ。


ボッティチェルリの女性肖像画はなんかカタイし。後世の修正が入ってるんじゃないかあれ。本物だとは思うけど。フラ・アンジェリコの板絵も「ふーん」としか思えん。これこそ後から他人の筆が入ってるだろう。ぜんぜんフラ・アンジェリコしてない。以前新宿の損保ジャパン美術館に来てた板絵はそれなりに良かったのになぁ。


建築用のコンパスだの当時流通してた貨幣だの、おめぇそれ見てどうしろと言うのだ、という物件のオンパレード。なんかジグゾーパズルのピースばっか見せられてる感じで、それが上手く噛み合わない。なにしろ肝心なところのパーツがごっそり抜けてるんだからしょうがない。最近では1、2を争うビミョーな美術展となった気がする。


まぁなんだ、細かなところで見どころはある。まずミケランジェロの小さな磔刑像は、小さいながらに感心する。つうかその凝った展示方にも感心する。その前に展示してあるヴェロッキオの噴水彫刻(部分)なんか、国内で見られるのは貴重じゃん?と思うのだが、これが厳重なミケランジェロに比べて素のままの展示というかただ置いてあるだけなのが泣かせる。ちょっと知名度が低いだけでこうも扱いが違うのか。諸行無常。ヴェロッキオは十分巨匠なんだけど、とにかく「ダ・ビンチの師匠」としか呼ばれなくなってしまって損してるよなぁ。優秀すぎる弟子を持つのも考えものなのか。


あとヴァザーリの絵が見られるのは意外な収穫。人物の立像で、2点とはいえサイズも保存状態も十分。ヴァザーリといえばすっかり美術史家として有名になっちゃったけど、この人は本職は絵かきで、自分の勉強のためにルネサンスのマスターのこと調べてるうちにそっちの仕事で知られちゃった。今回見られるのは、確かに派手さはないのだけど、佳品。普通に良い絵かきだったのだなぁと思えますよ。ポスターになってるポッライオーロの婦人像もきれい。


あと僕は門外漢だけど、当時の建築家が作った、設計段階での模型が面白い。入口から中を覗くと、けっこう空間感が想像できる。木の板で作られてて、まぁ簡素といえば簡素だけど、大きくてしっかりしてて、最近の建築のスチロール板の模型やCGなんかでのプレゼンなんかにはない豊かさがある。こういう模型で検討された空間と、CGで検討された空間じゃ、絶対できあがった実作の空間の質が変わるだろうなーと思った。


あれ、なんか妙に誉めてるっぽい文章だな。いや、まぁ、雑多よ。当時のお金持ちお嬢ちゃんのアクセサリーとかお洋服とか、金杯とか十字架とか本とか。もんのすげぇフィレンツェ・マニア(学者とか)や「ヴェロッキオ」「ヴァザーリ」という名前にある程度反応できる人でないと、ポカーンとなることは請け合い。なまじ隣でめちゃくちゃコンセプチュアルなマチス展やってるだけに、展覧会としてのテンションの落差が目立つ。ぶっちゃけ、デートとかには使えない。しらけること確実。


西洋美術史とか文化史とか勉強してる人にはいい参考資料展じゃないですか。こちらに多少の素養があれば、その細かい断片的な出品物を繋ぎ合わせて、ルネサンス期のフィレンツェの空気みたいなものを想像することは可能だと思う。小さな都市国家で商業の力で勢力をもち、その活気にすんごいパワーを持った「芸術家」も、日々こつこつ仕事してる「職業人」も意識が高揚していて、あるムーブメントを作る。それらの残り香を感じることは、難しいけど出来なくはない。ま、暇があったらぞうぞ。

●「フィレンツェ−芸術都市の誕生」展