深さに落ち込まない、描く喜び

昨日の矢部知子展について、あれだけではあんまりなのでもう少し書きます。
パネルにキャンバスを張って描かれた絵です。画材は油絵の具が主だと思われますが、モデリングペースト(アクリル用盛り上げ剤)なども使われているようです。具体的な形象はなく、筆のタッチやストロークが画面を覆っています。厚いマチエールを、細い棒のようなものでひっかいた、悪戯書きのような要素も散見されますが、これも何か具体的なものの形とは判別できず、一部には象形文字のようなものもあります。


色彩は、大きな作品はほぼ白黒、中くらいの大きさのものは褐色で、いずれもモノトーンに見えますが、細部にいくらかの色彩が見えかくれしています。
強く重厚なマチエールが画面に強度を与えています。そのマチエールを作るタッチ、またそのマチエールの上を疾走するストローク自体が主題と思われ、したたる絵の具の痕跡も無造作に残されています。


オールオーバーな抽象絵画がある種の奥行/空間を感じさせることが多いのに対して、矢部知子氏の作品はけして「奥深さ」に依拠しません。あくまで画面の表面を駆け回るタッチ・ストロークの豊かな自在さが、作品の魅力となっています。モノクロームに見える色彩とそのマチエールから、キーファーのような「重さ」をイメージしてしまう人もいるかもしれませんが、矢部氏の絵画は、物語りや偽の神話などとは隔絶した軽やかさによってなりたっています。むしろトゥオンボリなどに近いかもしれません。


厚い絵の具やモノクロに近接した色彩を駆使しながら、奥行や物語り、崇高さ、「重さ」から見事に切断された場所で、闊達に画面の拡がりを「遊んで」ゆく矢部氏は、高度な技術を身に付けた上での自由さ、いわば「絵画の自由」を楽しんでいるように思えます。そういう意味では、この作家は大画面を指向しているとも言えます。若干「完成度」が作品の自由さを損なっている感のある中くらいの大きさの作品よりも、パネルを2つ合わせた大型の作品に見られる、描く喜びの発露は、小さな画面では発揮しづらいのでしょう。


●矢部知子展