ミックスジャムが終了したとたんに、風邪でダウン。参りました。
先週美術的なインパクトを受けたのはMOTまで見に行った榎倉康二展ではなく、ミックスジャムで交流?した(というか展示した古河三高OBのみんなとお酒を呑んだだけだけど)野沢二郎氏の作品と話しで、この作家が新しい場所へ一歩足を踏み出しつつある、その「いきづかい」みたいなものを間近で感じられ、同時に「お前はもっと面白い絵を描け」と面と向かって言われたことで、「美術の世界」にまったく知人も友人も持っていない僕としては、砂漠の中の一滴の水みたいに貴重な時間だった。


野沢二郎氏はここ数年、ローアンバーの上に鮮やかな黄色い絵の具を載せては削りとって、ある「質」と「深さ」を構築してきた画家なんだけど、今回見る事ができた作品は、技術的なものはほぼ同じでありながら、従来の「質」や「深さ」を崩し、揺らぎの中へ絵の具を再投入していったような作品だった。


具体的には、以前の黄色がより明度の低いレーキ系のピンクになり、油の添加率が増えてロ−アンバ−の層がぬかるみ状になっているところに無理矢理上の層を乗せることでタッチが滑り、絵の構造がグズグズになるのをなんとかこらえようとしながらこらえきれない、といった様相で、前日まで描いていたという表面はまったく乾燥しておらず、触れれば即手に絵の具がつき、画面にもその痕跡が残るようなものだった。


ただでさえレーキ系の色というのは「染まり易い」絵の具で、それを乾燥を待たずに力任せに描けば作家本人いうところの「ダメな絵」になるのは分かり切っている。もちろんこの場合、この「良い絵なんかすぐ描ける」と言い切る力を持った画家が、なぜそんな事を行ったのか、というのが問題なわけで、僕はそこに、最近の一群の「質を獲得しながら、そこから離脱してゆく」画家の存在と重なる姿を感じたのだった。


例えば中村一美氏や小林良一氏は、ある段階から彼等が作り上げてきた「絵画の質」を、投擲しようとしているように見える。若干方向は違うけど、小林正人氏にもそういった傾向を感じる。更に違う方向ではあるけど、村上隆氏の画家としての歩みにも、そんな面があるように思える。


なぜ彼等は、それぞれの「質」から、高度な「構築」から離脱しようとするのか。彼等の絵の「質」に憧れている僕から見れば疑問でもあり、でも同時に彼等がやることならば、なんらかの理由が有るはずだとも思い、しかしその理由が明確には見えず、謎として残っていた。


野沢二郎氏が言った「良い絵ってなんだ?ということ」「良いとかダメとかと言っている、それは何なのか」etc.といった言葉の中に、そのヒントがあるのかもしれない。


僕には想像するのも毒なのかもしれないけど、少なくとも野沢二郎氏は、「描ける」というもの(事態)を壊しつつあるんだろうと思う。描けること、ではなく、描けないものだけが問題なんだ、という意識があるように思える。さらに、そこで本当にあっさりと「素でダメな絵」を描くわけではいところが、その覚悟の厳しさを感じさせる。それこそ力量のある野沢氏が、単に安易な絵を描くのも容易な筈なのだ。だから「ダメな絵が描きたかった」という言葉を素で受けてしまうわけにはいかない。実際に作品は「単に安易な絵」とは違う、過剰な混乱を見せている。それは、今だ不可視な何か、絵画であるかどうかも不定形な何かへの意志のように思えた。


上に挙げたような野沢氏以外の作家にも、もちろん固有の動機があるのだろうし、実際その「離脱の在り方」は個々で違う。まとめては考えられない。しかし、例えばある段階から作品の視覚的な洗練が進行していき、しかもその洗練が「死」という形で「完成」してしまったように思える榎倉康二展の作品とは、異質な力、異形の指向が、「死ぬ事が許されていない」作家、というものから感じられるのだ(そんな野沢氏から「お前はもっと面白い絵を描け」と言われた、というのは、僕がまだまだ「素でダメ」だということなんであって、こういうふうにダイレクトに、作品と作家の全体から受けるショックというのは本気で危ないもので、それに比べれば風邪などどうということはなく、落ち込みというよりは普段見ていなかった闇を見せつけられたような不安として頭の真ん中に居座る感じだった)。


野沢二郎氏は5月に牛久(!)で二人展を準備しているということで、詳細がわかったら御紹介します。