ボストン美術館展は、出品作が予想外に良く驚いた。ベラスケス、ヴァン・ダイク、レンブラント、ゲインズバラ、クールベマティスといった作品のいずれもが魅力的で、目玉に1-2点だけ佳品をあて、他が在庫一斉処分という風の類似企画(●●美術館展…)より、数段見応えがあった。もっとも「展覧会」としての構成がとりたてて素晴らしかったわけではない。会場は細かく区切られ、その分け方は肖像画、宗教画、オランダ室内画、風景画etc.と散発的で統一されたコンセプトがなく、肖像画のコーナーの最後にいきなりピカソキュビズム期の作品がぼん、とあって浮いたし(たしかに画題は「女性の肖像」なのだけど)、最終コーナー「静物と近代絵画」での作品配置、具体的にいえばマチスを端っこに置いてしまう判断なども疑問が残った。芸がないかもしれないけど、良い作品が揃ったのだから時代順に、あまり分節することなく並べても良かった気がする。


モネが「素晴らしい目」に特化した結果、図らずも身体性や物質性が溢れ出していった画家であることが改めて−2007年の国立新美術館でのモネ展以来−確認できた。「積みわら〈日没〉」、あるいは「ルーアン大聖堂の正面とアルバーヌ塔(夜明け)」を見ていて思うのは、光の把握がこの作家においてはあくまで筆触の単位で展開している(点描分解をするシニャック「サン=カの港」をみよ)ことで、すなわちモネのイメージとはブラッシュストロークの集積である、ということになる。これらの作品で最も目立つのは色彩やトーンではなく、もたもたと横溢する絵の具の盛り上がりであり、強いマチエールだ。少し早い段階の「アルジャントゥイユの雪」などはその筆致とイメージ、色彩が緊密に連携しているのだけど、それが「ルーアン大聖堂の正面とアルバーヌ塔(夜明け)」になると、筆致とトーンの構築がばらばらになり、ひたすらに淡い色彩の広がりとは切り離されたマチエールがイメージに収まることなく前景化する。視力の弱体化した晩年の「睡蓮の池」は、イメージが完全にブラッシュストロークの側に偏ってしまい、目と手が分離していくようでもあるし、逆に身体がイメージに飲込まれているようでもある。


ヴェロネーゼ「天使に支えられた死せるキリスト」は、日本に来たヴェロネーゼの中でも良い作品になるだろう。晩年の作品で、最も“ヴェロネーゼ的”とは言い難く明暗の強調された作品だが、天使の衣服の色彩の輝きなどは素晴らしい。ムリーリョは、愛らしいマリア像の「無原罪の御宿り」で知られるが、それとはまったく異なる印象の「笞打ち後のキリスト」が来ていて興味深かった。ひざまづき這いずるキリストを、まったく荘厳化せず暗い中に描いていて、ちょっとぎょっとする作品になっている。コロー、ミレー、と見て来て印象派に入って行くと、徐々に作品としてのばらつきが大きくなってくるのが分かる。コローにはブレが見当たらない。ルノワールになるとあからさまに「通俗的」な作品が出てくる。今回は気にならなかったが、マネ、あるいはモネも「通俗的」な作品がある。これは個々の作家の資質だけには還元できない。印象派において「通俗性」はモチーフとして非常に重要なテーマだったわけだけれども、それが作品の主題だけに収まらず「質」にも及ぶものだったことには構造的な問題があることが分かる。それを徹底して排除したのがセザンヌだろう。ちなみにこの前のエントリでセザンヌを特権的に取り上げたけれども、あきらかに異形なセザンヌの隣で、少なくとも「強さ」においてかろうじて負けずにいたのがゴッホの「オーヴェールの家々」で、セザンヌに強さで負けないというのはそれだけで流石だと思った。


会場入ってすぐのベラスケスとマネの並列などは三菱一号館美術館でのマネ展とも呼応していて分かり易いが、スルバランのプレデッラ(祭壇画の部分)の明暗のコントラストの方が、マネに関係しているように思えた(スペイン絵画のマネへの影響の大きさは三菱美術館で強調されている)。全体に、本館の改修等があったにせよ名古屋ボストン美術館が出来たことが大きく影響しているのではないかと思える充実ぶりで、名古屋もぜひ訪れたくなる内容だった。ついでに、目立ったのはドガの良い作品が4点ほど来ていたことで、これはわりと大規模なドガ展が横浜美術館で準備されていることを考えると、少し興味深い(参考:http://www.degas2010.com/)。このボストン美術館展でのドガの扱いは2セクションに分断され意識的なものではないから、とりたてて展覧会自体としてどうこう評価できないが、ここは観客が積極的にピックアップして注意を払ってよい*1

*1:日本での印象派受容において不足しているのがマネとドガであることを示唆しているのが上田和彦氏だけれども(id:uedakazuhiko:20100415)、くしくも上田氏言う所の「印象派理解の欠け」が2010年に揃って埋められるかもしれない