『20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から』

既に終了してしまったのですが、中村ケンゴさんの企画『20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から』に参加させていただきました。


美術手帖編集長の楠見清さんをコメンテーターに迎え、中村ケンゴさん、眞島竜男さん、僕で1990-2001年のアートシーンを検討するという内容です。


ほかの御三方は言わずとも知れた、90年代に活躍された方々で、僕は反対に90年代をほぼ沈黙して過ごしてきました。そのような立場から言えることがあるかどうか不安でしたが、主に批評空間周りのトピックを拾う、という役割を与えられて現場に臨みました。


会場は満員御礼で、ほかの登壇者の方々の力を実感いたしました。人前にほとんどたったことのない僕がなんとか割って入れたのは、(来場者の方々も含めた)皆さんのお陰だと思っています。ありがとうございます。


楠見さんの美術手帳での「爆発」、眞島さんの英国留学から後の活動、中村さんの絵画への考えについて伺っていると、当時彼らがいかに周辺的でインディペンデントな存在であり、国内の「洋画と彫刻」のような体制に戦いを挑んでいたのが感じられました。楠見さんがトバされたりとか、眞島さんが英国と日本のギャップを感じられたりしていた話とか、当時傍観しかしていなかった自分と比べて彼らがファイターだったか理解できました。「銀座の画廊」的なものへのコマーシャルギャラリーのカウンター的登場にも触れられて、会場となったメグミオギタギャラリーでの開催の意義(中村さんの作戦!)も了解できました。


POPとハイアート(モダンアート)の対立が偽のものである、という前提が事前のメール交換で確認されていました。とはいえ90年代に従来型の美術にも馴染めず、かといって奈良・村上両氏に代表されるようなムーブメントにも乗り切れなかった人間は確実にいたわけで、そのような伏流が88年に邦訳が発刊された「反美学−ポストモダンの諸相」、94年にやはり邦訳されたクラウス「オリジナリティと反復」、95年に国内で発刊された「モダニズムのハードコア」と言った書籍の刊行に現れていた、また88年から2002年まで続いた「批評空間」、また建築の国際会議「any会議」などに下支えされていた、といったことを発言いたしました。95年のセゾン美術館「視ることのアレゴリー」展にも触れました。


こういった伏流が、2002年以降、例えばphotographers' galleryによるphotographers' gallery pressの刊行、Art Traceによる林道郎「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」のセミナー開始とそれに続く出版につながっている、と、なんとかぎりぎり与えられた役はこなした感はありましたが、取りこぼしも多数有り(アトピック・サイトや「偽日記」にも触れられなかった…)、人前で話すのは難しいとつくづく思いました。


最後に付け足しになりましたが、作品に基づく話として「奥から手前へ」という話をしました。


80年代を代表する中村一美氏の作品です。ステインされた色彩面と白い格子の重ねあわせによって「奥行」が生まれています。アメリカ抽象表現主義の理解に基づいた「深奥空間」です。


90年代を代表する村上隆氏の作品です。徹底的に磨かれた、漆工芸的な「スーパーフラット」、意味や内容の「深さ」を切断し表面(surface)にとどまる作品です。眞島竜男さんの「衣付きソーセージ (垂涎のための引き揚げ) 1994」も、このような表面(surface)のイニシアチブを正確に捉えたものではないかと発言させていただきました。


また同時に、中ザワヒデキさんによる、2000年のSTUDIOVOICE「ハニー・ペインティング」における村上隆氏との対談での「ヒロ・ヤマガタ問題」への言及にも触れました。


0年代以降存在感をました岡崎乾二郎氏の作品ですが、氏の資質は「彫刻」において現れており、この作品も明らかに画面の「前」の空間を組織しなおしている。このような「奥から手前へ」という流れを示してみました(なお、近日発刊する「組立−作品を登る」の拙論「脱美学−ブロークンモダンの諸相」では、このような画面の「前」の空間を組織しなおしている作品を「建築的作品」として論じる箇所があります。展覧会に併せて発刊するので是非ご一読を。http://kumitate.org)。


さらにカオス*ラウンジに触れ、バッシング中にも展示を続行したことを評価し、梅沢和木氏の作品を村上氏の継承者として位置づけつつ、しかしその超多層レイヤー構造が単一の基底面を埋める絵画ではない、やはり「前」に出てくる作品として評価しました。また黒瀬陽平氏の「椹木野衣岡崎乾二郎をつなぐ」というプログラムは重要だと発言しました(誰か先にやっちゃえ、みたいなことも言いましたw)。


あと、経済的な90年代からの変化を振り返りつつ、これからは我々も明日食べられなくなるかもしれない、だとするなら、情勢やタームを追うのではなく、かといって閉じこもるのでもなく、代謝しつつ自律していくことこそが重要で、そのようなものを芸術と呼ぶのではないか、というメッセージを無理やりねじ込んで終えました。


言い残したこと、御三方にお伺いしたいことはたくさんあります。異論反論もあるでしょう。今後、なんらかのまとめ作業があるとのことですので、引き続きご注目ください。