「反戦 来るべき戦争に抗うために」展に関するtweet
「反戦 来るべき戦争に抗うために」展が開催されています。思いのほかTwitterで感想を書き込むことになったので、こちらにもまとめておきます。展示に関しては以下のURL参照のこと。
反戦展で印象的だったのは佐々木友輔さんの作品。あれ、音が注目点(音だから注目は変だけど)だと思う。ぜひヘッドホンをつけてみたほうがいい。ばばば、とマイクが風の音を拾っているんだけど、この音がとても気になる。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
「土瀝青 asphalt」でも風音が入るところがあるんだけど、機材の関係か、とても音が似てる。この風音の入り方が、なんというか佐々木さんの文体のようなものになっていて作家性のようなものを感じた。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
中山二郎氏のビー玉(ガラス玉)は、展観中数回蹴っ飛ばしたり踏んだりした。勿論そういう作品なのだと思う。「一見普通の場所なのだけど、注意して歩かねばならない」。反戦、というテーマに一番身体的に気付かされる作品であったように思う。ささやかな作品だけど。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
内海聖史さんの作品は「ブン殴れる絵画」らしいのだけど、高い位置にあるせいか旗のようにも、あるいは斧の刃が絵になったようにも見えた。見ようによっては暴力的にも政治的にも見えたけど、その総体にどこかユーモラスなものがあった気がする。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
豊嶋康子氏の作品は、とにかく読ませる。文章の内容がべたに記憶に残る。あの手書きの文字と文章はとても「体」を感じさせる。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
反戦展、池田剛介さんの作品は端的に危ない。戦争が想起される展示で破片的なものが「美しい」ということ。川端龍子の爆弾散華もそのような作品だけど。ひとつ感じたのは池田さんの作品が身体的な欲望を喚起すること。「尖ってるのに柔らかい」感じが触ってみたくなるし、どこかネイルアート的な(続
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
感覚もある。簡単に言うと、ちょっとエロティックな感覚がある。技術的に同じ金魚のシリーズとはそこがちょっと異なっていて、より危ない。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
眞島竜男さんの作品はダイアグラムが紙にプリントされているのだけど、単純に勉強になる。「戦争画」の位置情報がダイアグラムによって明確に近代日本美術史に示されていて、それがなおかつ持ち帰ることができる。展示会場の壁にあるので「絵画」、しかも「戦争画」の裏返しの「反戦画」は(続
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
ありうるか、という試みにもなっているかもしれない。戦争画のネガは、反戦を情緒的に訴えるのではなく、戦争画をきわめて手際よく相対化しマッピングしその位置情報を頒布するという知的な戦略によって反戦画としてなりたちうるか、と見えた。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
浅見貴子氏の作品は、たぶん反戦展の中でもっとも「効果がない」展示のされ方をしていたと思う。直接反戦をうたう内容ではなく、会場側面右上方にひっそりとあり、小さな水墨画ということで単純に目立たない。このようなキャリアと実績をもつ画家が、こういう場所でこういう展示を(続
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
する、という意思に、僕はわりとべたに感銘をうけた。反戦、という意思は、いかなる「効果」とも無関係にこの作家にある。反戦展に、反戦とかかわらずいつもの自分の制作している作品をひっそりと出す。それがこの作家の反戦である、と。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
田中功起氏の作品もそうだけど、僕が面白いと思ったのは田中氏のtwitter上での発言。要するに、反戦展に参加しようがしまいが、発言しようがしまいが、展示にかかわろうが係るまいが、この展示を意識してしまえばそこに風邪のウィルスのように「反戦展」は伝播しうると。氏の作品と共に、(続
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
この田中氏の発言で、反戦展は会場の外に拡張され過去・未来に延伸した。この拡張の仕方が面白いなと思った。あとは会場の展示が、意外なほど作品の間に「隙間」があったこと。あれ作品サイズのレギュレーションの結果とみていいのかな?この「隙間」が、やはり展示の拡張力に繋がっていたように思う。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
僕は今でもたとえばデモは苦手で(集団的自衛権の閣議決定時の反対デモを「見学」に行った時も改めて思った)、今回のように「反戦」をうたう展覧会も、デモに近い抵抗感を感じるかと思ったけど、作品間に間があり、ある意味強く出ない展示になっているので、すんなり見ることができた。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26
主義主張を大声で叫ぶような展示ではなく、むしろ意外にささやかな声で、展示者相互が、あるいは来場者相互が話あうような感覚があって、デモなり政治的メッセージを持った場が苦手な人にも風を通すような「隙間」のある展示になっていたように思う。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 9月 26