絵画と絵画でないものの境界

藍画廊(http://homepage.mac.com/mfukuda2/aigarou.html)で根本美恵展を見た。まず、画廊入口に通りに面して飾られた作品が目に入る。

雰囲気がいいと一目見て思う。こういうことって、じつは大事なんじゃないかな。そうじゃないと、見ないもんね。
クリーム色の地の上に淡い青のシンプルなストローク。風景が見えてきそうな、消えてしまいそうな感覚がする画面。

マチエールが気になって、画面をよくみると、木製パネルのベニアの上に直接描いている。その上に下地もなく、薄く溶いた岩絵の具で描いてるので、マチエールだけでなく、木の板の模様が透けてみえる。

画廊内に入ると、同様の作品が4点、クリーム色の層すらなく、完全にパネルの板の上にダイレクトにストロークを引いているものが4点。画家は日本画を学んでいたということで、画材はすべて日本画のものっぽい。
でも、「日本画っぽい」ところはどこにもない。この画家の意識は、はっきりと「絵画」に絞られている。

そしてこの展示では、「絵画と絵画でないものの境界」が引かれている。明解に言うと、上記の2つのタイプの絵、すなわちクリーム色の地の上にストロークが引かれているものは絵画として成立していて、木製パネルにダイレクトにストロークを引いているものは、絵画にはなっていないのだ。

理由は簡単だ。パネルの木の肌が露出しているものは、画面内に「絵画じゃないもの」が入り込んでいる。絵画+木の肌、に見える。対して、クリーム色の層があるものは、その外部である「木の肌」が隠されて地も絵画空間となっているので、「絵画になってる」と言える。
近代絵画というのは、絵画を絵画意外のものから峻別し、絵画という枠内だけで画面を成立させる(純粋化/形式化)ことで成り立っている。だから、自然物である木の肌を直接画面内の要素として導入した絵画は近代絵画とはならない。

この画家が、この展示会場に引かれた「絵画と絵画でないものの境界」の、どちらを良しとしているかはわからなかった。でも、僕の気持ちとしては、近代絵画に踏み止まって欲しいと思った。派手なところはなくとも誠実なその作品には、描くという思考がしっかりあって、その魅力は近代絵画の枠内で存在できると思うからだ。

根本美恵展は11月22日まで。
東京都中央区京橋3-3-8新京橋ビル1F  
Phone/FAX. 03-3274-4729
時間 11:30am 〜7:00pm (最終日 6:00pm)
休日:日曜日