マンハッタン・ラブストーリー#8

いやぁ、イボリーはいい男だ。ダメ男大会になってるこのドラマで、イボリー一人がビシッとしてる。漢だ。忍くんが女であることが発覚した今、そのかっこよさは際立ってるね。木のしたで赤羽さん(小泉今日子)に説教するシーンは泣けた。しかし「お前今年でいくつだ!?」「さ…37です!」「いくつまでに結婚する気だ!?」「来年中にはなんとかまとめたいと思ってます!」の掛け合いはすごい。妙になまなましいぞ小泉今日子。なんかフケ役に開き直ってきたなぁ。及川光博ファンの方、ベッシーはあんな状態ですが、いいんですか。

登場人物がイニシャルのアルファベット順に片思いしていく、と思っていたら今回で向きが逆転。登場人物が全員ジェンカで繋がって踊るシーンは激烈に笑った。要するにこのドラマではゲームの規則だけが重要視されていて、人間の「自然」な心の動きというものが描かれないワケだ。でも、じつはこのドラマはこの事でとても恐いことを言ってる気がする。はたしてドラマの外にいてこのドラマを笑っているお前達は、「自然に」恋なんかしてるの?というメッセージだ。

例えば職場で、学校で、誰かと誰かが出会って恋をする時、大抵そこには複数の人間がいて、小さな集団があって、その人間関係の中で恋をしていく。その時、他の人から恋する人を浮かび上がらせるのは、実はその集団の人間関係(言ってしまえば権力関係とか)だったりする。その集団でイニシアチブを握っている人間が魅力的に見えたり、逆にその集団で異端視されてる人がかっこよく見えたり。集団というのは、なんらかの価値観を持っている。仕事ができるとか会話が上手いとか、そんな程度の話だが、でも内部にいる人間には、その価値基準は強固なものに見える。その中の人と人の「関係」によって、人は恋をする。だから、恋というのは、「人間の心と心の結びつき」なんかじゃなくて、ある関係性の中の「ゲーム」の結果だったりする。

その集団の中の価値観というのは、えてして外から見てる人間にはくだらなく見えるものだ。「会話が上手い」やつが外からみたら、ただ五月蝿いだけのはしゃぎ屋だったり、「仕事ができる」の中身が新鮮なアイディアを排除して既存のルールをうまく操ることだったり。そんな中でくっつたり離れたりするのは多分「イニシャルのアルファベット順に」恋をするというのと、同じようにバカらしい。

マンハッタン・ラブストーリーは、とにかく恋愛に対する皮肉に満ちている。でも冷たくはない。なぜかというと、そんなつまらない「関係性」から、自由な人間は誰もいないということを、スタッフが理解しているからだと思う。関係性から自由でいられると思っている人間は、単に関係性に参加する能力が欠けてるだけか、更にひどい時には自分のハマっている関係性に鈍感なだけの人間なのだ。外から見たら下らなく見える関係性の中で、とにかく粘ること。(そしてできるなら、そんな自分を外から把握できる場、すなわち「複数の関係性」を獲得すること…なんてことはこのドラマは描いていないが)。