オペラシティーアートギャラリー
東京オペラシティーアートギャラリーで、タイム・オブ・マイ・ライフ(永遠の少年たち)展を見てきました。
表題にあるように、この展覧会は少年/少女が主題です。またもや「子供」の不確定な強さ、弱さに可能性を見い出そうとするキュレーションです。
何度もこういうテーマが飽きずに繰り返されるので、何度でも言いますが、とにかくこういった「未成熟な幼児性の魅力」はもう無効です。現在の状況に対して、子供であることは何も解決しませんし、むしろ悪化させます。
あえて言いますが、例えば現在進行中のイラクでの邦人誘拐事件をひき起こした「武装集団」は、極端な「子供」です。自分の欲求不満をはらすために、誘拐対象の素性や彼らを誘拐したことによる社会反応をきちんと調査せずに発作的に民間人を狙い、稚拙なメッセージを誇らし気にメディアに乗せ、予想外の反応が出たら右往左往して方針がゆらいで混乱する、なんていうのは、よくも悪くも苛酷なリアリティに晒されているアラブのイスラム主義者の「大人達」とは同一視できない幼稚さです。
何がタチが悪いといって、あの「武装集団」の子供達は、当人達に言わせれば反米・反グローバリズムといった「純粋さ」を起点に行動しているつもりだろう、ということです。そういった子供の純粋さは、むき出しの暴力となって、かくも醜い光景を映し出します(緻密な計画なら良かった、ということではないのでご注意を。だいたい誘拐による脅迫なんて行為が、非大人の凶行です。今回の事件は、その幼稚さが分かりやすい次元で現れているだけです)。その醜さは、やはり幼児的な行動を続けるアメリカと合わせ鏡のようになって、無限に増殖しようとしています。
子供の無垢さ、子供の純粋さという幻想を無闇に顕揚し、それがどのような結果を呼ぶことになるのかがわからない「大人」達は、もう大人の責任を果たしているとは思えません。現在の日本の美術界がふしだらに浸っている「子供の純粋さと無気味さ」がどんな「未来」を作り上げるかを考えるなら、慄然とせざるをえません。
とはいえ、出品されている個々の作品には、そういった甘いキュレーションと無縁な場所で光りを発するものがありました。そのいくつかを書き留めておきたいと思います。
●今回の展覧会のテーマの最大の犠牲者は、皮肉なことにこのオペラシティーアートギャラリーが一番押している難波田史男です。32才で夭折し、アカデミックな絵画から離れた場所で膨大な作品を書き続けた難波田史男は、そのいくつかの作品で、相応の達成を見せています。ことに横長に紙を継いで描かれた水彩画や何枚かの大判の作品は、青春期の作品とは呼べない完成度です。
そういった、完成度の高い作品を厳選し、しっかりと当時の美術状況や日本の美術史の中に位置付けるキュレーションをしてこそ、初めてこの画家の作品は正当な評価を受けられるはずです。美術史から隔離するように「少年の純粋さ」などというコンセプトで矮小化し、発作的にスパッタリングで画面を壊してしまった作品までも無批評に並べてしまうのは、かえってこの画家の可能性ををゆがめることになるのではないでしょうか。過剰に保護された子供は、精神の袋小路に入り込むものです。
●村瀬恭子氏は、相変わらず安定した技量を見せています。個々の作品に対する感想は、以前書いた記事(id:eyck:20040311)とほぼ同じですので、そちらを参照してください。この作家に関して気になるのは、むしろ作品外のことです。村瀬恭子氏は、この2月-4月だけで、個展や大規模なグループ展を4つも立て続けにやってるのです。ざっと書くと、
- 2月7日 〜4月11日 六本木クロッシング展 森美術館
- 2月14日〜3月13日 個展・タカ・イシイ ギャラリー
- 2月21〜5月9日 タイム・オブ・マイ・ライフ オペラシティーギャラリー
- 4月23日〜5月23日 福永信氏との共同製作による本の展覧会 ナディッフ
ナディッフ以外の展示は全部見たのですが、これだけ立て込んだスケジュールで、水準が落ちた作品が1つもないのは、凄いです。乗ってる、ということなのでしょうが、彼女の作品を高く評価している(下手するとファン?)者としては、逆に心配です。来ている話を全部受けているのか、選んでなおこの数になってしまったのか。簡単に消費されてしまうようなレベルの作家ではないと思いますので、末永く見てみたいと思います。
●奈良美智氏+grafの作品は、インスタレーション?です。S.M.L各サイズの「家」を作っています。中には各サイズの身体をイメージしたスケールの「家具」が置かれ、SとLの部屋には写真を、Mの部屋にだけ写真やドローイングを含めた様々なガジェットが置かれています。
各部屋に、各々のスケールに応じたインスタレーションが行われているのではなく、SとLには単純に大小の家具と大小の写真(Lは大きなTVでのスライドショー)を置き、標準的な(製作する際に壁が低い)部屋にだけ普通にガラクタを突っ込んでいることといい、タブローは1つもないことといい、「奈良ファン」および多くの「友人」を動員して数とボリュームで突っ切った展示をすることといい、なんかこの人は、完全に吹っ切れたというか、底が抜けた感じがします。「子供の美術」には批判的な僕ですが、こうも美術というものの底を抜き続けていく奈良美智氏の「ほどけていく」生き方には、とりあえず「どこまで行くんだろう」という興味を持たざるを得ません。それが美術的興味かどうかは別として。
●工藤麻紀子氏の絵画も、典型的な「幼児的不安」の世界を描いた作品ですが、この人の絵にはなかなか惹き付けられるものがありました。なんだかんだ言って僕にも幼児的世界に反応してしまう部分がある、ということかもしれませんが、あえて言うなら、この人の絵の具の扱いは、単に幼稚ということでは済まない世界があると思います。できやよい氏が、その幼児性を突き破って「描いてしまう凄み」を感じさせるように、この人の絵の色彩とマチエ−ルの構築(というかその「崩し方」)にも、表面的な幼児性を超えるものがあるんじゃないかと思えました。気のせいかな。
●奥村雄樹氏は、唾液や皮膚の断片といった、極めて生理的なものを素材として映像やオブジェ、写真などを製作しています。ここまで気持ち悪い作品を並べられると、逆に爽快です。耐えられない人は実際に吐き気を覚えるのではないでしょうか(僕はその直前までいきました)。ナルシズムを拠点にしているようでいて、現実の自分の身体を「画材」のように扱う感覚は、反対にある冷静さを感じさせます。そこには「身近なものへの視線」だけで作品を作る人とは違って、自分の身体を単なる物質として扱う(極端に遠くから自分の身体を見る)ことで、逆に射程距離を長くとる戦略があるのかもしれません。身体という物に対する感受性の違いが、観客にどのように働き掛けるのかを考えたとき、国内だけでなく海外で、どんな評価がなされうるか興味深いです。すでに欧米への進出は徐々に初めている作家さんみたいですので、そのレポートが読みたいですね。
こんなところです。関係ありませんが、オペラシティの回転扉は稼働していました。1つづつの回転扉に警備員がついていましたし、サイズも六本木ヒルズのもの程大きくないので、ま、大丈夫かなと思いました。もともと子供が来る要素の少ない場所ですしね。とはいえ、お子さん連れで訪れる方は、言うまでもないでしょうがご注意を。
info
タイム・オブ・マイ・ライフ ─ 永遠の少年たち
http://www.operacity.jp/ag/exh49.html
東京オペラシティ アートギャラリー 5.9[日]まで
開館時間:12:00 ─ 20:00(金・土は12:00 ─ 21:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日/但し、5月4日[火]は開館)