老いた少女

SHUGO ARTSでイケムラ・レイコ展を見て来ました(http://www.shugoarts.com/jp/ikemura.html)。

それほど大きくないキャンバスに、粗い目の麻布の画布が張ってあり、そこに絵の具を染み込ませながら描かれた絵です。水平線、あるいは地平線をイメージさせる背景に、ぼんやりと少女めいた像が描かれています。その体のプロポーションは若干不自然で、見方によっては四肢が欠損/変形しているかのような印象を与えます。

1点、少女が描かれない、水平のラインが複数描かれただけの作品と、もう一点少女の群像が描かれた作品があります。更にあと1点は2人描かれており、あと4点程は、画面中の少女像は1人です。画面内の少女の多くは視線を観客の方には向けていません。また、会場には小さな彫刻も1点置かれています。

会場に掛けられた作品のうちいくつかは青色の絵の具で背景が描かれており、それが下地の弱い麻布に染み込まされているので、色の退色が目立ちます。このことは、普通に考えると技術的な失敗であり、実際、青系統の作品はその退色をネガティブに感じてしまう所もあるのですが、僕はこれを全面的なミステイクとは言いたくありません。なぜならその退色が、画面内の効果として成立しているように思えるからです。

イケムラ・レイコ氏の絵に幼児性を見ることは正当です。が、その作品が単純な「幼さ」に回収しきれないのは、その画面内の「少女」が、「若さ」とは程遠い、死の側から見つめられているからであり、むしろ「死の側にいる幼児性」、すなわち「老い」の近傍にある幼さだからだと思えます。また、この作家の作品に頻出する要素として「水平(の)線」があります。立体でも平面でも、ほとんど必ずといっていいほど「水平(の)線」が現れて、これが作品全体に広い空間、遠い距離の印象を付与しています。この「広漠としたイメージ」と、前述した退色した色彩が合わさって、全体に「疲労」と、その先の死への予感を感じさせました。

ぶっちゃけ、この「退色」の効果は深読みです。ここまで深読みしちゃったので、更に暴走しますが、この絵にある「死への予感=老い/衰弱」は、恐らく一度成熟した大人の時期を踏まえてきた「老い」ではありません。いわば幼いまま老いてしまった精神、成熟を迂回し回避し取り逃がしてしまったまま、老いた少女です。僕はこの絵の「衰えた」感じに妙にハマってしまったのですが、海外で評価が確立してから逆輸入された作家さんということで、それなりにいろんな人に訴えかける力をもった展覧会だと思えます。これまた終了間近。

ちなみにSHUGO ARTSの入ってる建物は、小山登美夫ギャラリーやTAKA ISHIIギャラリー、ギャラリー小柳ビューイングルームもあるコンプレックス・ビルです。イケムラ・レイコ展開催期間中は小山登美夫ギャラリーもTAKA ISHIIギャラリーも準備中です。業者さんやスタッフさんが忙しそうでした。ギャラリー小柳ビューイングルームは土曜日の午後しか一般公開されてないので、土曜日が狙い目かも。って、土曜日までしかやってませんねぇ。

イケムラレイコ展:マドレ・マーレ