YES/オノヨーコ展・メモ

小さな紙に、縦書きで、以下の文字が書かれる。額に入れられて、美術館の壁にかけられる。

「任意の2点に穴をあける。
 空の見える処にかける。」
   (メリーの肖像6 ''空を見るための絵'')

オノ・ヨーコは、言葉と現実を1度切り離す。そして、改めてつなげることで、人の認識を変化させる。コンストラクション・ア−ト「指示する絵画」は、観客へのダイレクトな働きかけ=指示によって、観客の、想像力の中で成立する。


もちろん、これは倒錯した言い方だ。オノ・ヨーコの目標は「作品の成立」ではなく、観客の想像力の駆動にある。


それは、日常を「組み換える」コンセプチュアル・アートであって、日常から切り離されたモダン・アートへの猜疑から始まっている。反スペクタクル、反視覚効果(反網膜性)を特長とするオノ・ヨーコの作品は、直接的には、抽象表現美術に現れた「崇高」へのアンチテーゼとして始まり、あえて「人の想像力」の元に着地する。


そこで回復されるのは、単純な「人間主義」ではない。想像力だけが肯定されるべきものであり、安易な現状肯定はむしろ否定される。


想像力とは何か。それは「目に見えていないものを見てしまう」能力の事だ。


オノ・ヨーコ平和運動家と見るのは間違っている。オノ・ヨーコは、恐らく1960年代のどこかの地点で、想像力を肯定することを「決めた」のだと思う。その根拠は、わからない。だが、とにかくオノ・ヨーコは、想像力を肯定する強力な意志を持った。だから、想像力を排除するものには、自動的に、Noと言う。その帰結として、必然的に、戦争にはNoと「言わざるをえない」。


銃弾で打ち抜かれる他人の痛みを想像することを、戦争は認めない。だから、オノ・ヨーコは戦争にNoと言う。銃弾で打ち抜かれる他人の痛みを想像しないのは、兵士ではない、その背後にいて、彼に「引き金を引け」と「指示」している、あなただ。そして僕だ。


「想像してみなさい」


オノ・ヨーコはくり返し言う。様々な手段と、様々な切り口で、60年代から今まで、オノ・ヨーコは言い続けてきて、今後も言い続ける。そこには絶望も希望もない。ただ、指示がある。想像してみなさい。


そして、そこで喚起された想像力に対してのみ、彼女は無限の肯定、無限の「Yes」を言うのだと思う。そのような在り方ができるのは、恐らく、美術家としてのオノ・ヨーコだからなのだ。