離脱する絵画

hino gallery で小林良一展(http://kgs-tokyo.jp/hino/2004/040705.htm)を見てきました。キャンバスに油絵の具で描かれている絵です。会場正面の一番大きな絵について書きます。


赤い絵の具と、緑色の絵の具が、大きく見て縦にどちらが前景とも後景ともつかない状態で筆で置かれています。簡単に赤と緑と言いましたが、実際の色彩は極めて微妙です。完全に推測で正確なことはわかりませんが、赤系はクリムゾンレ−キに褐色系やカドミウム系の赤も入っているように思え、また緑も多少白をまぜ込んでいるような、彩度は多少押さえられながらも明るい緑で、どちらも探究の末に作られた色彩と思えます。色彩はハレーション効果を引き起こし、目がチカチカするような感じです。また、色と色の境界は、筆によるカスレがあったり、相互に上になり下になりしながら複雑にせめぎあっており、前述のハレーションのせいもあって、絵の具の「位置」が見れば見る程前後して、確定することができません。


絵の具の位置が確定できない、というのは、決して絵の具がナマで質になっていないということではありません。押さえ込まれた色彩は、あと一歩で確かな位置を得ようとしながら、しかし画面内の関係性によってその位置から浮遊し、目の中で乱高下するような印象です。構図的にいわゆる「中心」がないこともあり、この絵を見る人は、目の運動を強いられます。ポジティブな意味においてですが、非常に見ていて「疲れる」作品です。


どうしてこの絵は、こんなにも揺れ動いているのでしょう。僕にはそれは、「深さ」「質」というものから、絵が逃れようとしているからのように思えます。小林良一氏は、油絵による抽象画で、既に高い達成を示したと言われる作家です。そして、小林氏は、自らが獲得して来た、深さと質を拒否したのだと思えます。


これは、凄いことです。おそらく小林良一氏は高度に油絵の具をコントロールできる作家なのでしょう。そして、小林氏はそのようなものを、止揚しようとしているのだと思えます。これがどんなに困難で厳しいことかは、想像するにあまり有ります。この困難さは、会場に他に展示されている作品が、必ずしも成功しているとはいえないことからも伺えます。2年ぶりの個展ということですが、その2年という時間をかけて行われた試行錯誤によって、ぎりぎりの場所まで持ってこられた作品が、この会場正面の絵なのだと思えます。


「深さ」や「質」といったものから離れる時、よく見られるのがアクリル絵の具や、明解で''ポップ''な色使いをして「軽快さ」を得ようとする方向性ですが、小林良一氏はそういったこともしません。あくまで素材は油絵の具とキャンバスで、特別なメディウムを加えることもしていません。ですから、それは単なる「深さ」や「質」の切り捨てではないと思えるのです。そしてそれは、質量をもった物体が地球の引力圏から離脱するのに必要とする巨大なエネルギーと同じようなテンションを、画面に生み出しています。


ここまで困難なことをせざるをえない小林良一という人は、恐らく何か自分では変える事のできない、刻まれた「何か」に基づいて製作しているような予感がします。「描ける」人と思われる(そして実際に描ける人である)小林氏が見据えているのは、実は「描けない」という''何か''かもしれません。そして、描く事の本当の困難さに立ち向かえることこそが、「描ける」こととは比較にならない程貴重なものなんじゃないかと思えました。会期は明日まで。


小林良一展