時間を展開させる色彩

何か全然更新してませんな。展示は見てはいます。内海聖史展も最終日になんとか間に合いましたし、津上みゆき展は初日に行ってきました。なかなか文章が書けないのですが、とりあえず内海聖史展について書きます。終わってしまいましたが。


油絵の作品です。普段は音楽会なども行われるという地下の会場の、ゆるやかに弧を描く壁面に合わせるように、縦2段×20枚、合計40枚のパネルを並べて全長17メートル(!)という巨大な作品を展示していました。縦は4m程でしょうか。画面は作家が加工した筆を用いた、縦のタッチだけで生成されるほぼ直径3-4cm程度の円の連なりで占められており、主に緑色のバリエーションの絵の具が全面を覆っています。が、良く見るとそこかしこに赤褐色や紫など、多様な色彩が見えかくれしています。また、緑の絵の具の下に違う色が置かれていることもあり、豊かな色彩が感じられます。


内海氏の作品はその大きさに注目してしまいがちで、実際日本国内でこのスケールで絵画を実現させている人というのは、現代絵画の文脈では中村一美氏くらいなものですが、内海氏の作品スケールというのはハッタリでも何でもなく根拠のあるものです。作家本人によれば、それは色彩=絵の具の「美しさ」を見せるため、ということのようですが、僕には内海氏は、作品を「横に」展開させていく力が非常に優れている作家なのだと思えました。


上述の通り、画面は円形のタッチの連なりによって覆われているのですが、この連なりは、ひたすら横へ横へと、いわば無数に繁殖する音符のような、ある指向性を持っているように思えます。その指向性は絵の具のタッチに内在するものではもちろん無く、人間の横長の視界に沿っていこうとする作家/作品の指向なのだと思えました。このサイズの作品になると、観客は作品の全体を一挙に見渡すことが困難になってきます。その結果、観客は作品の前を横切り、作品の一部をフレームしながら、まるで絵巻物を見るように画面が流れていくことになります。画面全体の「構成」やタッチの「配置」、「関係性」を見るのではなく、視界の中を流れていく無数の絵の具の円が、いわば音楽的な時間の経過を感じさせるのです。


このような展開を見せる内海氏の作品は、原理的に横の「長さ」に限界点がありません。会場の対面に姿見のような鏡があったのは偶然でしょうか?ゆるやかな円弧をえがく長大な内海氏の作品が鏡に写っているのをみると、架空の円周が出現して、この横へ横へと拡がる絵の具が、無限に終わらないような錯覚を覚えました。


あまりにも感動的すぎる、シアトリカルであるとも言えてしまいそうですが、加工した筆とはいえ、縦のタッチ一発でほぼ正円を成り立たせてしまうその技術は、一つ一つの「描く所作」に高い集中力を必要とする筈で、その緊張感が作品サイズに拮抗する密度と質を作品に与え、そしてその質が「横」へと果てしなくズレていくことで、ある種の時間、一挙に現前するのではない、映画的とも言い変え得る時間を生み出していきます。その様は、力を無くしたと言われることの多い絵画に、新たな力を呼び戻す可能性を示していると思えます。例えば中村一美氏が、作品の巨大さから作品の密度/質を度外視しつつあることを考えると、驚異的と思えます。


来年のVOCA展にも出品が決まっているということで、今回見逃した方はお楽しみに。