高浜利也展

第一生命南ギャラリーとギャラリーなつかで行われている高浜利也展を見てきました。

第一生命南ギャラリーでは銅版画が展示されています。版画用紙に様々な技法で定着されたインクは赤みを帯びた褐色で、プレス機で刻印された図像は、太いストロークが格子上に拡がるものが目立ちます。このストロークはリフトグランドという技法が使われていると想像できます。


銅板に水性の絵の具(あるいは砂糖水)で筆を使ってタッチを置き、そこにアスファルトを油性溶剤に溶かした防蝕液を塗布し、乾燥後水洗いすると、防蝕膜の下に有る水溶絵の具が防食膜ごと剥がれ落ち、タッチの形に銅板が露出します。そこに松脂の粉をふって加熱し銅板に固定し、腐食液に銅板を浸すことで、筆の痕跡がそのまま製版されます。絵画的な「筆跡」を銅版画にすることができる技法なのです。今回の展示では、この技法の多用が目立ちます。他には銅板に直接傷をつけるドライポイント、一般的なエッチングも施されています。


いわゆる“銅版画”の工芸的かつイリュージョニスティックな画面では無い、一見無造作ながらその定着には高度な技術が必要となる「筆跡の版画」は、いわば絵画としての版画を目指しているようにも思えます。が、高浜利也展での銅版画は、そこに納まりきれない指向を示しています。その作品群は、額装されずにスチレンボードで壁面から若干浮かされて配置されているため、基底材の紙を含めて極めて強い物質性を喚起します。このことは、重要な意味を持っています。額に入れられない=括弧に括られない紙のダイレクトな提出は、絵画的というよりは、むしろ彫刻的な存在の仕方をします。


厚みを持ち、伶俐な断面を見せ柔らかさよりも硬質さを感じさせる紙、そこに強い圧力で残された(今は見えない)金属板の刻印、筆跡の生々しさが製版という複雑なプロセスを経過することで独自の質を得ることになるストローク、そのストロークに精緻に刷り込まれたインク。それらの要素は、いわゆる「素材の魅力」をそのまま見せる安易な素材趣味の作品/作家の情緒性とは無縁な、強い物質性の露出を見せています。高浜利也氏の銅版画は、銅板や紙やインクを繊細に操作し、更にプレス機や腐蝕液などによる加工を加えて、「材料」を、その本来の姿から断絶したものに変換します。その結果、絵画と彫刻の危うい境界線を犯しズレさせるような作品となるのです。


一方で、そこに記された図像は、高浜氏のデビュー初期に見られた、マチエールへの強迫的な執着を感じさせるものから、明らかに変化しています。描かれた形象自体はそれを定着させている技術を一瞬忘れさせるような簡易なストロークで、はっきりと具体的な「建物」「家」を思わせます。また、繰り返し現れる格子は建物の構造からとられています。それは現代の建築家の図面というよりは、昔の船大工が木の板に記したスケッチのようでもあります。


そのモティーフが明示されるのが、ギャラリーなつかでの「移動計画」と題された展示です。現在の住まいを、公共事業の関係で放棄せざるをえなくなった高浜氏は、次の住まいを確定できないまま、とりあえずギャラリー内で「床」を作る作業を進めています。散乱した電気工具や木材に囲まれて、実際に大工としての職能を持った高浜氏は、身も蓋もなく「美術作品」ではない「住む家の床」を作っています。会場には様々なメモや図面が張られ、行政当局から示された立ち退きに関する書類や公共事業の概要を示す印刷物も置かれています。ここで示されているのは端的に「高浜氏の事情」であり、それはインスタレーションとも、パフォーマンスとも言い難いものです。


では、高浜氏は「美術」を放棄し「生活の優位」を唱え始めたのでしょうか。おそらく、そうではありません。むしろ、生活であれ美術であれ、どのような場面であっても、そこにあるモノが全て「素材」として写り、それに様々な技術や技法を加えることで、何かに変換させざるをえない、高浜氏の錬金術師的な視線が浮上してきているように思えます。実際、今回作られている床は、実際の床としてのビジョン、宛先をほとんど欠いています(搬出時にはエレベータに乗るサイズに切られるそうです)。井出創太郎氏の移り住む古家を改築しながら、いつかその工程で現れた床の構造の白木の格子に過剰に反応し「構造上の必要性を凌駕するのではないか」という「感興」を覚え、その写真を今回の展覧会のパンフレットの表紙にしてしまうような高浜氏は、「住まい」や「生活」といった現実的な光景の中にある物を、まったく違う次元で捉えてしまう感受性を保持しているように思えるのです。


もちろん作家本人が述べる「生活の起伏の投影」とか「現実の社会に繋がっていこう」という言葉に、危険は潜んでいます。実際、ギャラリーなつかでの「床」の制作は、美術作品としての強度を獲得するには至っていないと思えます。また、版画作品もややもすると「良くできたメモ群」と感じてしまう危惧があります。あくまであらゆる素材、あらゆる契機が、本来のイメージから乖離し、「それ以外の何か」に感じられてしまう高浜氏の、結果的に「版画」からも「彫刻・絵画」からも、そして「(生活する)家」からもズレていく部分に、美術家としての可能性があると感じられます。そしてその可能性を支えているのは、モノに暴力的に働き掛け変換してゆく高浜氏の高度な技術の集積なのだと思えました。


高浜氏にとっての銅版画は、今の所氏の美術家としての基点となっています。ただ、「版画」という世界をまったく顧みず、徹底的にその外部に制作の源泉を置いているからこそ、それらの作品が版画を超えて存在しうるのでしょう。越後妻有トリエンナーレにも参加予定だそうですが、先の地震被害の復興にボランティアとして参加もされている高浜氏の幅広い活動が、いずれ反転して再び銅版画に、そのメディウムを揺るがすように再度着陸する時が来る思います。恐らく、そういった版画への離発着をくり返してゆく、全ての行為が、総体としての高浜利也という美術家の在り方となっていくと思えました。


●高浜利也展

●高浜利也展「移動計画」