ポーラ美術館「ポーラ美術館の印象派」展のセザンヌプロヴァンスの風景」について。


キャンバスに油彩で描かれている。カタログによれば、サイズは54.7cm×65.5cmで、1879年〜1882年の作品とされている。


画面左下隅に、地面を示す明るい褐色と緑の色面のぶつかり合いがあり、その色の差による線が画面右上にあらわれる空の青と褐色の作る線と想像上で結ばれ、キャンバスをほぼ2分する対角線がゆるやかな弧を描くようにあると感受できる。この三角形の多くの面積を濃い緑色、明るい緑色、白っぽい緑色による縦の短いタッチが覆い、画面下辺から右上に向かって続く大きな斜面に生える草木を表している。


左右の中央、上部に明るい朱色の屋根と、斜面の褐色とほぼ同じ色彩で描かれた壁を持つ住宅が描かれている。この住宅は右手前から左奥に向かう遠近を持つ。しかし、その住宅の更に左手に小さく描かれた同じ色彩の屋根を持つ構造物が成す斜線は微妙に逆パースにも見え、この中央上部の住宅が作る空間と視点が違っていて齟齬をきたす。また、ほぼ画家=観客の視点と同じ高さにあるように描かれた住宅と左上の斜面の消失点もズレている。この住宅と同じ色彩は画面左下の緑色の中にも現れていて、大きな面を作る斜面に対して画面左1/4には細かい空間の入り組があることを示している。緑色と構造物の褐色・朱色の左上、高さとしては中央の住宅の壁と同じくらいの高さに、改めて斜面と同じ色が山の形を描く。その山の上から中央の住宅の上、更に大きな斜面の終わる右隅のほぼ画面上の辺全てに渡って青が少しの白を含みながら帯びを成し、空となっている。この空の白の一部は塗り残しである。


全体に、手前の画面の多くの面積を占める斜面上の緑を前景とし、画面中央上部の住宅を中景、画面左の草木と山が遠景となるような構図になっていると言えるが、実際に画面の前に立った時、この「プロヴァンスの風景」は、このような整理された明解な空間は感じ取ることができない。


まず、遠近法を成す線分が画面内を広く覆う緑色によって隠され、所々に覗き見えるだけで、その線分は統一されたパースを描かない。大きくとられた中央の斜面上の緑の色面と、画面左1/4程度の場所を区画する構造物・緑・山の細かい色面の大きさの差から、左が奥になると判別できるが、色は緑も褐色も朱色も同じ色が使われ、白をまぜこんだ空気遠近法も使われていないことから、画面全体が極端に圧縮され、彩度・明度的にはほぼ同一平面上にあるように見える。


またタッチも画面全体に同じ単位の縦長の四角いタッチによって覆われている。このタッチには方向性があり、上部の空は水平なタッチから画面左上では左下への動きとなり、その先の遠景の緑ではほぼ垂直になる。この垂直のタッチの緑はそのまま画面中央の近景の緑まで同じく反復され、更に遠近の判別が難しくなる。画面中央下の白を含んだ明るい緑の部分でタッチは右下へ向かうようになり、下辺に接するあたりで逆方向の右上へ向かうタッチへと変化し、ややうねるような動きを見せながら、全体に斜面の方向に沿うように右上へと伸びる。


明示されないパースの線、彩度・明度の変化しない、限定された色彩、画面を覆う同じ単位のタッチ等によって、この絵は狭い空間の中に押し込まれ、ほんのわずかの要素によってかろうじて「風景」となっている。最初にこの絵の前に立つと、まず画面の多くにわたる緑のタッチの微妙なうねりを追うことになり、いわばその画面の「中」に入り込むことができない。かなり距離をもって遠くからこの絵を見たとき、ようやくおおまかな空間を掴むことができるが、画面に硬質な抵抗感があることに代わりは無い。


勿論この絵を完全な平面性の追求された作品と見ることもできない。ことに異質なのが画面中央上部に描かれた住宅とその周辺に見られるパースの混乱、いくつかの視点の混在である。明解なマッスを失い、うねるタッチの連続に見える緑の上に、突然この住宅だけが確かなボリュームを持った存在として不安定にのっかっている。異様に立体が立ち上がって見える。屋根や壁面を描くタッチは確かに縦長のタッチだが、勢いよく置かれ抜かれる緑の色面のタッチとはちがい、しっかりとのせられ、タッチの終点では確実に筆を止めていて、壁面がタッチに分解せず確かな位置を得ている。


限定された色彩とタッチで禁欲的に描かれたこの「プロヴァンスの風景」は、全体に引き締まった印象を与えながら同時に見る者を混乱させるという不思議な在り方をする。タッチは一部でゴッホのようなうねりを見せ、空間は圧縮されながら消え去る事なく部分部分で見えかくれし、平面に還元されるようにみえながら画面中央上部に不安定に立体が立ち上がる。ことにこの立体の不安定さは地面との接点が緑によって隠されていることから増大する。「プロヴァンスの風景」では、観客の視覚を安定させる要素が多くの場所で「うねる緑」によって隠され、壊され、排除されている。


●ポーラ美術館の印象派-モネ、ルノワールセザンヌと仲間たち