ブリヂストン美術館「印象派と20世紀の巨匠たち」(1)

ブリヂストン美術館で行われている「印象派と20世紀の巨匠たち」で見る事ができたいくつかの作品について連続して書く。この展覧会はブリヂストン美術館の所蔵作品で構成されていて、展示期間が終了しても、いずれ常設展などで目にする事ができると思える。


ボナールの「海岸」について。比較的小さなキャンバスに描かれた油絵で、横長の構図をしている。その横長の画面に左右に平行して、手前に道と欄干があり、その向こうに海があり、水平線上には雲が広がり、画面最上部には幅狭く空が広がっている。画面右下、手前の道の右に白地に黒ブチの犬が歩いている。画面左下、道の左端には、ほんのわずかにベンチの端が描かれている。その姿のほとんどが画面外に消えていて、かろうじてそれがベンチと判別できる程度にトリミングされている様子は奇異に思える。


この道路と欄干が前景となる。欄干の向こうに中景をなす海があり、その左端には汽船が描かれている。画面ほぼ中央には簡易なタッチで小舟らしきものが4隻浮いている。画面中央やや下、欄干の隙間から覗くように、やはり小舟が若干大きく3隻描かれている。海の右端には帆を張った帆船、あるいはヨットがある。水平線上の雲と空が遠景をなす。


色彩は夕方を思わせる「染まり」を感じさせる。濃い紫からくすんだ白のグラデ−ションを持つ雲、彩度の低い海、やや色付いた白で描かれた帆船の帆、褐色の道、ピンクじみたように思える欄干、厚塗りの雲に対してうすく溶かれた青による空が、ボナールの絵によく見られる「パサつき」を見せず、比較的たっぷりと油を含んだ伸びやかな塗りで描かれている。画面表面にも植物油によるつやを見ることができる。


この絵の主要な要素として、描かれたものの「方向」がある。手前の道、欄干、海、雲、空が横長の構図に沿って何段もの水平の線を描き、そこに描かれた犬や汽船、小舟の群れは真横を向いていて、いずれも左に向かっている。帆船のみが右下から左上、あるいはその逆かもしれないが、斜に向かっていて、小さいながらもこの絵の中で特異な向きを持っている。欄干はその下の道と上の水平線のほぼ真直ぐな線に挟まれて、やや微妙なうねりを見せている。雲は上部でさらに大きな曲線を描く。


この小さな作品の中には、様々な速度、あるいは時間が多様に描かれている。右下の犬の歩く早さ、左端の汽船の早さ、小舟の群れの早さ(あるいは遅さ/静止)はそれぞれに固有のものであり、互いに関連を持つことなく別々の時間を生きている。欄干のうねりを追うと、それを挟むまっすぐな道あるいは水平線とは違ったリズムを持つ。雲の見せる曲線のリズムはやはり欄干や道、水平線と違ったもので、刻々と姿をかえるのであろう独自の動きを感じさせる。左下の、わずかに姿を見せているベンチは、画面左外に外れて描かれていない気配、つまり人の存在を想起させる。全体に左から右という大きな流れを持ちながら、しかし個々の事物は個別に存在し、個別に存在しながらも全体の大きな動きの一部となっている。そこにアクセントになるように、帆船の、ささやかな斜の動きが置かれている。


また、これらの、犬や船や海や雲の固有な動き、固別な時間は、いわば「ゆっくり」とした速度として描かれているのだが(たとえば犬はあきらかに「とぼとぼと」歩いているし、汽船は波をけたてることなく、静かに航行しているように思える)、それら全てが、夕方という、瞬間ごとに現状の光線を失い、急速に夜に向かって*1いこうとする風景の、瞬間としてあることも、この絵に複雑さを与えている。いくつかの散在する、各個にゆっくりと持続する動きと、それらが次の瞬間には失われるであろう光線によって切り出されているという刹那の拮抗が、この小品に緊張を与えている。


印象派と20世紀の巨匠たち

*1:あるいは、明け方で急速に昼に向かって、でも事情は同じと思える