引き続きアートフェア東京について。
岡崎乾二郎氏の「あかさかみつけ/No.19」が売られていたのはびっくりした。岡崎氏の立体が見たいと思っていた僕としては、この作品が目に出来ただけで収穫だったのだが、ここはやはり購入という視点を持ってみるべきなのだろう。ちなみに価格はプライスリストで確認できる。36万円ちょっと。ま、正直僕に手が出る金額ではないのだが、特に富裕層に属していなくても、一般の人でも興味があるなら検討可能な額ではないだろうか?


僕がこの作品と価格を見て思ったのは「どちらかというと、この作品は、見て模作したくなった」ということだ。おそらく、岡崎乾二郎氏の「あかさかみつけ」の系譜に属する立体作品は「模作する」ことができるある種のラフさが骨格にあって、このラフであることは先頃の練馬区立美術館での「タンスシアター」などの試みにもつながる。


もう一つ印象的だったのは、僕が模作したいな、というようなことを思わず呟いたら、画廊の人があっさり「作れますよ」と言ったことで、これはこの人が「あかさかみつけ」という作品の魅力をわかっていて、しかも「模作する(できる)」ことがこの作品のバリューの一部であり、そのことは決してこの作品の価格を落とさない、と思っているということになる。ちょっと驚いた。画廊が自分の取扱い作家・作品のことをこのように「分かっている」事がアタリマエだと思っている人は楽天的なので、実際は画廊が作品を常に理解しているとは限らない。新鮮な出来事だった。


この岡崎氏の「あかさかみつけ/No.19」とほぼ同額で、とあるブースで村上隆氏のペインティングが売られていたのだが、これは正直言ってお金があっても購入は考えない、と思った。ただ、村上隆氏がタダモノではないなと思ったのは、複数の画廊が(ニューヨークの画廊も含む)村上氏の作品を扱っている*1ということだけでなく、村上氏の運営するカイカイキキが独自でブースを出していること(スルーされがちだが、これは「作家」が自力で画商に伍して作品の流通経路を作っているのだ)、僕がいったプレビューの段階で村上氏のプロデュースしていた青島千穂氏の作品が売れに売れていたこと、村上氏自身が現場に立っていて営業していること、インタビューに答える形でGEISAIの意義を強調(これも営業だ)していたことなどがある。


この営業=サービス熱心さはインパクトがあった。この「営業=サービス」は、たぶん村上氏の企画したGEISAIだけを考えての事ではなく、「日本の美術界はもう少しなんとかならんのか」という(無私に近い)活動なんだと思う。僕は個人的には、なんというか、村上氏はもっとエゴイスティックに「自分が儲けることだけ」考えてもいいのではないかと感じるのだが、現状では村上氏はものすごく「儲からない」ことに力を注いでいて、それは要するに「他に人がいない」のだろう。僕がこんなところでとやかく言うのも余計なお世話だし変だとは思うが、いずれにせよ、あの現場に出る「働き方」は心に残った。


西澤千晴氏の作品が、他に比べても明らかに「売れている」のは凄いと思った。プレビューの段階であれだけ「出ていっている」作品と言うのは会場全体を見てもなかなかない。タカノ綾氏の作品だってそんなにはハケていなかった。内海聖史氏の作品は、昨年のMOTアニュアルで多くの人が「あっ」と思ったらしい極小絵画だったのだけど、もう少し大きめの油彩作品が扱われても十分売れると思う(今回は参考出品ということらしい)。内海氏は投資目的で買ってもペイする可能性が大だと思えるくらい大化けすると勝手に予測しているのだが、もしかすると巨大なインスタレーション的作品か、今回のような極小絵画しか無い、と思われているかもしれない。MACAギャラリーでもあったとおり、個人が所有するのに適したサイズの作品も多く作っている作家だから、入手するなら早めが良いと思う。


会田誠氏の映像作品は、日本のどこかの貧乏臭いアパートの一室に潜伏中のテロリストのオサマ・ビン・ラディン(に扮した会田氏)が、すっかり日本社会にスポイルされてダメ人間になっており、コタツで日本酒を呑みながらえんえんグチをいってるというものなのだが、これは万難を排してイラクあるいは中近東の国のどこか、あるいはロンドンのシティ、ニューヨークのマンハッタンで公開し売るべきだと思う。この作品を見て、本気で傷付き怒る人がいる状況で売るのでないかぎり、この映像は美術作品としての批評性を獲得できない。日本国内では、会田氏の作品が陥りがちな内輪受けの冗談にしかならないと思う。


もちろん日本にだって9.11テロの被害者や遺族がいるのだし、ビン・ラディンにシンパシーを感じている人だっていないとも限らない。そういう人にきちんと届くよう公開・販売するルートが作られるのなら話しは別だが、アートフェア東京では、微温的な苦笑を誘うだけだろう。この作品に激怒し会田氏を爆破しようとするような人物がいる場所にこそ、この作品に心底爆笑する人物もいるはずなのだ。くり返すが、「笑いの大きさ」=「批評性の高さ」=「高い値段で売る」を求めるなら、販売する場を間違えている(※注意※この作品は実際にロンドンで展示されていたことが分かりました。謝罪します。以下の記事を参照のこと。http://www.absolutearts.com/artsnews/2005/06/22/33102.html)。


国外の作家では中国から輸入されてきたものが目立ったのだけど、正直あまり良いと思うものはなかった。洪浩(HONG HAO)みたいな刺激的な作家がいたらいいな、とおもったのだけれど、僕が十分に丁寧に探さなかったせいか、どうも一発屋っぽいひとしか目に入らなかった。他にはジャスパー・ジョーンズのドローイングなどがあったけれど、これは価格がわからず。まぁ高いのだろう。吉本隆明氏が昔の対談で「骨董を買うなら、個人では買えないような超1流品が持てないからといって、人間国宝みたいな人が適当に作った中くらいの作品を買うというのはダメだと思う。1流品が買えないなら、1000円なら1000円以下と決めて、その中で買えるものを買う」と言っていたのを思い出す。もし僕がアートフェア東京で買物をするなら、このスタンスに準じると思う。


それ以外に触手が動いたものとしては、小林正人氏の画用紙にアクリルか油絵の具でペインティングが施されたものなどがあったけれど、もちろん手ぶらで帰る。


何かお土産的な「アートグッズ」があってもいいかも、と思った。村上隆氏はピンバッヂなども作っているし、同様のものを作家にデザインさせて作ったり(ストラップとか)、ポストカードとか映像作家のDVDなどを廉価に扱ってもいいような気がした。作品を買う、というのは、やはりなかなか思いきりがいることで(僕のような)「来たけど手ぶらで買える」ライトな客を沢山呼んで、上記のようなグッズで“慣らして”、1年後とかに実際に購買行動に移らせる、なんていう工夫はどうだろう。

*1:当然、取扱い画廊が多国籍に複数あることでとても物理的に「自由」が獲得できる