横浜トリエンナーレ/サーカスは回転したか(5)

横浜トリエンナーレの限界

とにかく半数も見ていないのだから、ややtxtを書くのにためらいがある。だが、そもそも多くの作品を敬遠したのは、この横浜トリエンナーレの大きな特徴である「観客体験型」美術というものに抵抗を覚えたためだ。なぜこれほどまで「体験」することが目指されたのか。


総合ディレクターの川俣正氏のメッセージを読めば、その理由は明解だ。

すなわち、旧来の美術展にはヒエラルキーがあるからそこでの体験はモノローグ的になる。それをダイアローグ的にするために「展覧会場を、作品鑑賞の場である以上にコミュニケーションの新たな場として提示して」いく。方法論としては常に何かが行われ、展示と同時進行で作品が作られる=「展覧会は、運動態である」。又は、「作品鑑賞から作品体験へ。/作品を鑑賞することから体験することへと導く」、更にワークショップetc.を行い「開かれた展覧会」を行う等が提示されている。


だが、例えばセザンヌを前にして、そこでモノローグ的であることが可能だろうか。もしモノローグ的になるというならば、それはまったく別の枠組み、たとえばごくまっとうな美術教育が行われることなどが必要なのであって、急に「体験型作品」が招来されるというのは拙速だろう。横浜トリエンナーレを紹介したTV番組では、川俣正氏は展示が開始した段階で作品が「完成=閉じて」しまうから、「運動態」としての展示が必要だ、と語っていたが、マチスは「閉じて」いるだろうか。むしろ「完成」後、長い年月にわたってダイアローグが展開されるような作品こそがクラッシックとしてある。美術に「似顔絵」とか「卓球大会」を持ち込めばダイアローグ的になる、というのであれば、川俣正氏は「ダイアローグ」という言葉を低い水準で誤解している。


このような誤解から、サーカスというよりは「変な遊園地」が出現したのが2005年の横浜トリエンナーレだったと言える。ではなぜ川俣氏はこういった問題設定を行ったのか。それは「美術の外部」を美術に導入した川俣正氏が、実は「美術の外部」にまったく無知で、「美術の内部の文脈」しか知らないという転倒した状況があったからだと思える。


「作者」の特権性を排し、「観客」が参画することで「日常からの跳躍」が行われるというのは、ここ30年の間にサブカルチャーが全面的に高度化し実現している。端的に言って、インターネットを使ったオンラインゲーム「ラグナロック・オンライン」や、他のプレイヤーと対戦が可能なゲームセンターのアーケードゲームストリートファイター」「ギルティギア」などを知ってさえいれば、横浜トリエンナーレで行われていた「観客参加型作品」のかなりの数はまったく稚拙に見えるだろう。ストーリー可変形迷路とかが典型だが、古典的テレビゲーム「ウイザードリー」が10年20年前にとっくにオーバーしていっている所を不器用になぞっているにすぎない。


ゲームに「身体性」が欠如しているというレベルの反論が行われるとも思われない(ゲーム脳、とか言い出す人くらいなものだろう)。一度でもプレイすれば、それがはっきりと身体的な経験であることが理解できる筈だ。「ダンスダンスレボリューション」を持ち出すまでもない。インベーダーゲームでさえ、筋肉痛になりマメを作る人が沢山いたのではないか。優れたゲームは人の知覚をズレさせ、日頃気付くことのない認識さえ覚えさせる。「MYST」をプレイして、物語りの喪失の後の世界や、感情/感覚/知覚の齟齬、記憶とそのあやふやさや「現在」の不確定性を体感しない者がいるだろうか。ゲームの世界ですら差別的な扱いを受けているポルノゲームにこそ遥かに徹底した「観客参加」の可能性があることは、既に東浩紀氏が明らかにしている。用意された選択肢のチョイスを超え、そこではゲームの本体、素材として用意された画像やプログラムにすらユーザーの介入が行わている。そこでは「作品」が完全に「開かれて」いる。


原作のパロディを超えて、作品の構造を徹底的に解体し再構築してゆく「コミックマーケット」における漫画同人誌の世界では、作家/読者という境界線はとうに蒸発している。オープンソースソフトウエアは「伽藍からバザールへ」という言葉に見られるように、その逐次的コミニュケーションを基にしたユーザー参加・動的開発の手法が既に理念として確立しつつある。僕はこれらの事象の生成物を一概に賞揚しているのではない。ただ、もし美術の領域が、このようなサブカルチャーやエンジニアリングのフィールドで行われている事態に追随するというのならば、それ相応の緊張感が求められるだろうということだ。一言で言えば「学習」が求められる。そうでなければ、それは先行しているサブカルチャーやエンジニアリングの成果に寄りかかることになる。


横浜トリエンナーレで認識されたのは、程度の低い娯楽であってもそこに「アート」という冠を被せれば許されてしまう、という事だ。それはほとんど伝統的アートのストックへの依存そのものとなっている。高度化しすぎて、なまじな現代美術よりハードルが高くなっているデジタルゲームよりも「だらしない娯楽」の方が需要を喚起する可能性があるかもしれない、というような逆転した構図すら描いているかもしれないが、PSPや携帯電話に初期のシンプルなデジタルゲームが移植/搭載され広まっている事を知れば、そのような見方も怪しい。


くり返すが、川俣正氏がいまさらのように「作品鑑賞から作品体験へ」「運動態としての展覧会」と言い出すのは、氏が上記のような美術外部の状況を知らず、美術の文脈しか見ていないからだ。モダニズムの美術が純粋化を押し進めた結果、「市民」から乖離し、そこで90年代以降「美術の市民への帰還」が行われたことは「六本木クロッシング」展へのコメントで書いているのでくり返さないが(参考:id:eyck:20040325、id:eyck:20040326、およびid:eyck:20040329)、横浜トリエンナーレはまさしくこの20年近くになろうとする「市民への回帰」としての美術および美術展の系列にある。率直な言葉を使えば「作品鑑賞から作品体験へ」という設定が古い。世紀を跨いでくり返された行為の追認でしかない。少なくとも一部の「市民への回帰」を目指すアーティストはサブカルチャーの水準を認知した上でそのような制作を行っているが(とりあえず八谷和彦氏の名前をあげておけば十分だろう)、横浜トリエンナーレは美術の外部を知らなかったとしか言い様がない。


支配的なカテゴリがある相では、その他のカテゴリは有力なものを模倣し始める。文学が主導的になった時代、美術はロマン主義化し文学を模倣した。そういう意味では横浜トリエンナーレ2005も「いつか来た道」を反復していると言える。ただ、ロマン主義美術は少なくとも文学を最低限度「学習」している。横浜トリエンナーレ2005にはあまりにも「学習」がない。サブカルチャーの「面白さ」を上澄みだけ利用し、その水準の低さを守る壁として既存の美術の権威を利用している。強調しておきたいが、僕は作品の表面的な工芸としての「完成度」が低い事を問題にしているのではない。そこにあるコンセプトがハリボテに見えたのだ。今回再制作された高松次郎の作品なら、「カンバスの複合体」のシリーズの方が、遥かにラフでありながら、そこで追求されているコンセプトは優れて高度に抽象化されている。そしてその作りのラフさがコンセプトと拮抗し魅力となっている。このチョイスにおいても横浜トリエンナーレは間違えている。時間がないにも関わらず、何故限られた人的資源をあそこに振り向けたのかがわからない。


では2005年の横浜トリエンナーレは、なんの意味もないものだったのか。意外な部分で、そうではないと僕は考える。以下次回。