注記

12/27のこのエントリでは、superflat氏の応答に答えて横浜トリエンナーレでのカリン・ハンセン氏の作品を取り扱ったのだが、僕はカリン・ハンセン氏の絵画作品に近接して設置されていた照屋勇賢氏のパブロ・カザルスの演奏の録音がドアの向こうから聞こえてくるインスタレーションをカリン・ハンセン氏の作品の一部と思い込み、その誤った認識のままカリン・ハンセン氏の作品を批判した。むろん、この批判は全く無効である。カリン・ハンセン氏及び照屋勇賢氏に深くおわびする。

txtの内容は、ドアの向こうから聞こえる、ケネディの招きに応じてパブロ・カザルスが演奏した曲の再生音を「歴史が生きていた時代」の表象であるとし、それに対してカリン・ハンセン氏の絵画を「絵画の死」に基づいた作品と規定した。そしてその対比から「何ごとかが生きていた過去の記憶」を「何ごとかが死んだ現在」を通してフレームアップしている作品と読み取り、そのような構図によって引き出される「何ごとかが死んだ現在」という問題意識はリアルな現在を果てしなく回避することにしかならないと批判したものだった。

くり返すが、この批判は的外れである。恥じ入ります。事実経過を残し、当該エントリを削除しました。