「組立」永瀬恭一×古谷利裕展

本日初日です。

なにとぞご高覧いただけますよう、お願い申し上げます。


搬入は、大量の作品を持ち込んだ古谷氏をどう迎え撃つか、というところが焦点だったと思います。私は出品者であると同時に全体を管理運営する立場でもあって、そういう場合、会場のボリュームと観客の立場を勘案して、古谷氏と交渉しつつ、会場を統制的にコントロールする、というのが通常の対応だったと思います。


ですが、私は今回、こういったリアクションを一切放棄しました。


具体的には、現場では1出品者として振る舞いました。「全体」を統御することなく、ほぼ、目の前の古谷氏とその作品群を前に、まったく対等の立場でガチンコで自作を投入しました。結果、あの狭小会場に18点(!)展示した古谷氏に対し、私はタブロー4点+ドローイング10点の計14点(!!)の出品を遂行しました。合計なんと32点(!!!)がひしめいております。


自作の展示に関してはおおよそのビジョンを持っていた私は、それをまずは提示した後、事前に会場が見られなかった古谷氏を一人置いて、会場2Fで自分の残務にかかっていました。その、相互に勝手な時間を過ごしながら思っていたのは、この「勝手」さこそ、この展覧会に必要なものだったのではないか、ということです。


私と古谷氏はどこまでも互いに「勝手」にやってきて、その「勝手」さが交差しうるかもしれない、という試みが今回の「組立」でした。最終的なエフェクトを精密に計算する(つまり、そこにやってくる観客の「質」を事前に規定する)見事なエキジビジョンではない、このような「勝手」な展示は、どのように受け入れられるか不確定ですが、結果的にはとても生々しいものになったと思っています。


ソフィスケートされた「答」のパッケージではなく、いわば「問」の散乱が実現できたのではないか。会場を見るとそんな気がしています。