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・あれは死体だったのだろう。子供が入院するかもしれないと連絡を受け、夜の病院に駆けつけて、点滴を受けながら授乳している長男の状態について医師の説明を受け、しばらく夫婦で考えることにしてからやはり入院したほうがいいだろうという結論を出し、立ち去った医師をさがそうとした、その足で入り込みそうになった隣の部屋に一目で生気がないとわかる初老の男性が仰向けになっていた。血色のない顔は目が閉じられていて、あ、と思った。くるりと引き返して、そこで出会ったスタッフに医師の所在を確認したら「こちらは救命センターですので」と言われ、そういえばこの部屋に入るときに大勢の人が部屋の前でシリアスな雰囲気で集まっていたことを思い出した。
・夜の病院というのはいつも独特の空気感がある。過剰に清潔で、どこかしんとしている。暗い廊下に非常口のサインだけが光っている。長い廊下の向こうは真っ暗になっている。様々な部屋の機能を書いたプレートが連なっている。床はリノリウムだろうか。つるつるしている。たまにエレベーターが、扉を開け光をこぼす。空気が乾燥している。夜間のインフォメーションセンターだけに人が集まっている。こんな時間に、意外なくらい多くの人が働いているのに、その物腰はとても静だ。人はこういった暗さの中で死ぬ。病院の夜はとても冷静で、それだからこそ余計人の死を感じさせる。
・子供は発熱していた。触るだけでわかる高温だった。未明に嘔吐し、地元の小児科で受診して座薬を処方されたが午後になっても症状が改善しないので再診療を受けたら、ここでは見られないと言われ市立の医療センターを紹介された。そこで血液検査とレントゲンを撮った。検査結果は明日になると言われた。連れて帰るのか。入院させるのか。入院するなら母体が一緒にいなければならない。準備も何もしていない。悩んだが、ぐったりしている子供を見て不安になり、結局入院を決断した。3駅離れた自宅まで私が往復して、必要なものを持ってくることにした。
・初めて来た大病院の夜間入口には救急車が近づいて来て、赤い回転灯を輝かせている。いったいこの病院は一晩に何人の急患を受け入れているのだろう。そのうち、どのくらいの人が亡くなるのだろう。私の子供のすぐ隣の部屋にいた、あの白い顔の男性のことが何度も思い出される。夜道を歩きながら、言付けされたこまごました物のリストを暗唱する。何日くらい入院することになるのだろう。不安な筈なのに、私は平気で今晩は久しぶりにゆっくり制作ができるな、などとも考えている。