金曜日には、駒場東京大学までロスコに関する公開イベントに出かけたのだけど、どうしても仕事が終わらず、6時開始なのに到着したのは7時過ぎになってしまった。構内図で会場の位置を確認したのだけど、会場であるべき建物に着いても戸が閉まっている。うろうろしていたら親切な方が閉まったガラス戸の内側から「美術のイベントですか」みたいに声をかけてくださって、そうです、と言ったら迂回路を教えてくださった。「もう一杯ですよ」と忠告もされたのだけど、ここまで来てそのまま引き返す勇気も出ず、3階まで上がったら通路まで学生らしい人々が溢れていて、中を覗き込むこともできなかった。林道郎さんの声が遠く聞こえはするけど、流石にここに佇んでいるのもきつい気がして、結局帰ってしまった。階段を下りたら先ほど忠告して下さった方がいて、「諦めました」と言って外に出た。きちんとお礼を言うべきだった。


井の頭線のホームで渋谷行きの電車を待っている間、自分がそれほどがっかりしていないことに気づいた。それはこのイベントを軽く見ているということではけっしてなくて(後でmixiで聴講した方の感想を読んだらやっぱり聞きたい内容だった)、たくさんの若い人たちが、通路に溢れてまでロスコについての話を聞こうとしていた、というあの風景に少し感動したせいだった。こんな風景、私の学生時代ならあり得なかった気がする。ロスコという画家は日本では比較的人気がある画家だけど、それは抽象表現主義、という今の美術シーンでは半ば放置されている分野の中の相対的な人気でしかないし、川村記念美術館の今の展覧会にしても到底行列ができるような人の入りではない。もちろん立地の問題もあるけど、上野のルーブル展で入場制限していることを考えれば、それはやはり少数の熱意あるスタッフと(遠隔地まで赴く)観客が支えている展覧会だろう。イベントで話している陣容も、もちろん林さんは国内で本当にアクチュアルな美術史家だし、他の若い研究者の方々も優秀な人なのだろうけれど、誰も大きなメディアに頻繁に出て名前を知られているような存在ではない。戦後の美術という限られた範囲に日頃関心を払っていなければこのイベントの存在だって知るのは簡単ではない。


そういう催しがこれだけの集客をしている、というのは驚きだったし、勇気も湧く。こういうものを契機にして、ロスコの展覧会が大成功とは言わないまでも興行的に赤字が出ないくらいに収まって、少なくとも専門家や作家の間でも話題になって(良い、貴重な展覧会が専門家の間ですら話題にならずに忘れられる、なんてことはいくらでもあるのではないか)、会期終了までに何人かでも会場に行くことになれば、きっと川村記念美術館は(あるいは他の美術館でも)、もっとこういう戦後美術の野心的な企画を打つきっかけを作り易くなる。そして、そういう現実的な希望よりもっと大きいのは、20代を中心とした人たちが、けして評価も完全に確定したわけでもいない、時代的に自分たちと地続きの場所にある美術に積極的な興味をもっているという事実が、きっといろんな意味で生産的な将来に繋がるかもしれない、というイメージが持てるということで、あの、廊下に溢れながら会場内にじっと目をやっている人たちの光景を思い出しては、へぇぇ、と妙に悪くない気持ちになっていた。