自分の個展が開催中ですが、新しい「組立」がゆっくり始まっています。


「組立」は最初、なんのビジョンもありませんでした。ただコンセプトとインスピレーションだけはもの凄く明確にあって、第一回展で、そのインスピレーションがおおよそ実現したことに驚嘆した記憶があります。以後、多くの方のご助力のおかげで、今年の春に第二回展が実行できました。第三回展がどのような形態をとるのかはまったく未定ですが、この、コンセプトだけがありノービジョンであるという「組立」の条件は、最初から一貫してかわりありません。


美術における展示という行為を、製作と切り離したショーではなく、それ自体が認識の場として組み替えられないか、という問いは、未だ問い続ける必要を感じます。というよりも、そのような問いに終わりはないのです。もちろん、本来美術というのはその総体が認識の場である筈で、それは当たり前の前提なのかもしれません-事実、ごく一般的な展示に「組立」より遥かに鋭い認識を感じることはありますし、「組立」自体がルーチンと化す可能性は常にある。2年続いた「組立」が3年目を迎えようとすること自体、「制度分析」の対象となるべきなのは上山和樹さんの論理が明快に示しています。


同時に、いかにも先鋭に始まった運動が、その先鋭さ故に瞬間の発火で終わってしまうという風景も、よく見られるものです。三たびのロンゲスト・マーチを開始した「組立」は、その持続を過大にも過小にも考えません。単にこれまた一つの条件として捉えることになりましょう。そしてもちろん、「組立」は自分たちだけでやってきたのではない。独立したコンセプトを持っているからこそ、多くの人々と連結/切断を繰り返します(STAND ALONE COMPLEX?)。今後もご支援、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。