・6年住んだ部屋を、引っ越しをしてから掃除しに行った。おおかたの事は昼間に配偶者が済ませていたけれど、終わらなかった所や自分が製作していた部屋等を手入れしなければならない。防汚処理をしていたからそんなに激しい汚れはないと思っていたけれど、それでも6年、という時間がたっていればどうしても数カ所手当が必要だった。画材屋でストリッパー(凄い名前だけれど油絵の具用の剥離剤)を買って、4日ぶりに使い慣れていた筈の駅に降りた。


・たった4日なのに、なんとなく感覚として「思い出の中」に帰る感じがあった。どこかフィクショナルというか、読み終わった本をもう一度読んでいるような感じというか。一日の用事を終えて、夜暗い中駅前のスーパーに入り、簡単な御飯を買って部屋に向かった。残した蛍光灯が白々とついた。ガスだけを止めて、電気と水道は生かしておいた。さっくり手早く御飯を食べて、ごみをビニール袋に詰め、とっとと掃除にとりかかった。油絵の具は固着したらなかなかとれないものだが、剥離剤を使えばわりときれいに落ちる。ただ、刺激が強いので皮膚が弱い人は手袋が必須だし目や粘膜部分に付くと危険だ。また含ませた布を不用意に放置すると発火の危険がある。このあたりは扱い方の問題で私は手慣れていたが心配していたのが建材への影響だ。一般の賃貸住宅のフローリングなどは木目が印刷だったりするから、下手な溶剤など使うと表面が溶ける。


・端っこの方で、おそるおそる綿棒で小さくストリッパーを付着させ10分ほど置き拭いてみた。この部屋に使われていた建材には全く影響がない。安心して少し派手に付けてしまった部分にとりかかった。気持ちよいほどあっさり落ちた。数カ所ストリッパーを使って掃除し、残りは一般の床用洗剤を使って掃除した。きれいになった。良かった良かった。ストリッパーはクサカベの出しているものと、世界堂ブランドの廉価なものがあったが、今回は世界堂ブランドの廉価版で用事が足りた。クサカベのは粘度が高くこういった場面では使いづらいと考えた。世界堂のはびっくりするくらいさらさらしていて、クサカベのしか使ったことがない私としては除去力が弱かったらどうしようと危惧していたのだけれどOKだった。こういった用途には世界堂ブランドの方が向いている。


・もう一つ心配していたのは壁紙で、これは最初から溶剤は使えない事は分かっていたので(ビニール系だから溶けるに決まっている)、どうしてもカバーしていたところからはみ出してしまった箇所は爪の先でかりかり削って落とした。これが実は一番大変だった。爪を延ばしておいて良かった(わざとのばしていた)。おおよよ落ちたと思うのだが、1箇所派手にやってしまったところがあって、これは諦めた。風呂はカビキラー、台所はマジックリンで通常の掃除の方法で十分いける。長男に与えていたクレヨンは水性で、一部壁紙に「やってしまった」ドローイング(?)は水拭きできれいに落ちた。敷金は一般的な相場で払っていたので、いくらかでも返してもらえれば、今いろいろと切り詰めている家計がわずかにでも楽になるから、夫婦揃って頑張って掃除した。


・翌日、少し早めに引き払う部屋に行って蛍光灯を取り外し、ざっくり掃き掃除をしていたら不動産屋さんが査定に来た。壁紙の汚れた箇所、他の部屋の傷ができてしまった壁面も含めて数面が張り替えとなり、その費用から6年住んで進行した償却分を差し引いて、預けていた敷金から数万円が引かれて返却された。こういった賃貸不動産の敷金・礼金の不透明さは良く言われるけれど、私たちは6年住んだ印象が良かったし査定の方も「長く住んで頂けるのが一番」と言って下さって親切な印象だったので納得がいっていた。数カ所、設備の面で気になっていた事を言って、引き払いの書類にサインして、本当にこの部屋とお別れをした。


・2001年に結婚してから、2年ほど葛飾区の四ツ木に住んでいた。大きな荒川のそばを高速道路の高架が並走し、その巨大に列を作る柱からみえる空がとても映画的な土地で、私たちはとても楽しく過ごした。父が倒れて埼玉に戻ることにしたとき、随分と名残惜しかった。そのときも引き払いで改めて空になった部屋に戻った時、私たちはこの土地にある種の愛情を感じていた事を確認していた。入り組んだ細かい道に皆溢れ出す様にプランターを置いて植物を育て道に物干竿を堂々と置いて洗濯物を乾かしている、そんな町だった。引っ越した川口の郊外は、複数のスーパーと並んだ建売り住宅の平板な土地で、私たちはあまりのつまらなさにがっかりした位だ。部屋の隣の梨畑が目に美しいのが唯一の取り柄だと思った。


・ところがこの、同じような世代の夫婦ばかりが目立つ「ファスト風土」が心底優れていたことが分かったのが子供ができてからのことで、とにかく複数のスーパー、近所にイオンという町の作りの圧倒的な合理性に我々は助けられた。核家族の子育てというのは過酷で、下町の風情を楽しむ余裕等無い。そして市がわざわざ同じような月齢の親子を近所の公民館に集めて「お見合い」をさせて住所や連絡先を交換させて作った「ママ友」のコミュニティは素晴らしく機能していて、これで公園デビューもなにも楽々こなせた。今回の引っ越しでだって、そういった「ママ友」に配偶者は子供を預けて部屋の掃除ができたのだ。つまらない、と言っていた町の本当の価値が分かってから、私たちはまた引っ越すことになった。


・新しい土地はそこまで最先端な「ファスト風土」ではなく、少し古い郊外で、挨拶回りをすれば皆親切に応対してくださり(新築前にも挨拶していたのもあるけれど)、近所に子供もいるご家庭もあって、落ち着いた空気を感じる。私たちももう大人と言える年齢だから、それに即したところに移ってきたのかもしれない。新しいアトリエは、それでもやっぱり汚すのが惜しくて、それなりの防汚処理をすることになるかもしれない。