昨日は朝から自宅前の空き地の草刈りをしていた。引っ越しをしてきた冬場は枯れ草ばかりだったのが、春先にぽっぽと様々な芽が吹出して、気づいたらそれはそれは見事なまでに様々な雑草が生い茂り、その背丈はぐんぐんと高くなって、素晴らしく鮮やかな緑の溢れる空間になっていて、二階のアトリエでそれを眺めては、旺盛な繁茂からなにかエネルギーをもらっていた。ところがそうこうしているうちに配偶者がやたらとくしゃみをするようになり、それはそのうち見るも苦しげな、激しいものに変わってきて、まぁこの人はいつも5月くらいの、イネ科の植物の茂るころこのような症状に見舞われるのだけど、そうはいってもちょっとこれは例年にない激しさだなと思っていたら、どうやら目前の空き地に茂った植物が怪しい、という話になっていった。


この話の出元は配偶者と近所の人たちとの路上の会話からで、他にも数世帯、花粉症の方がいらっしゃるということもあり、今までも地主さんに除草を依頼したことがあったらしいのだけど、その時の除草剤散布が近隣の庭木に悪影響を与えたということで、最近は手つかずになっていたようだ。しばらく前、その空き地を挟んだ向こう側のゴミ集積場の、数メートルの移動を皆で手分けしてやった際、この生い茂った草のおかげで道路の見渡しも悪くなった、という話題も上がった。まぁ、ほおっておいても(私は)困らなかったわけだが、その話を配偶者から聞いた私の母が、そんなら草刈りをしに行く、と言い出したので流石に放っておけなくなった。80を越えた老人にそんなことをさせておくわけにもいかない。かといって家の中にいるだけでくしゃみがとまらない配偶者に、草原のただ中に分け入らせるわけにもいかない。結局、この充溢する命のたまり場に、なんの恨みもない私が侵入してジェノサイドを敢行するはめになった。


塀も囲いも何もないとはいえ、勝手に人の土地に上がり込んでそんなことをするのが認められるのか、と思ったが、ここの雑草が処理されるのは地域住民にとって合理性が高く、地主さんもそのような近隣住民の意志は十分汲まねばならない状況にあるようで、なるほどこれが地域共同体における「公共」というものなのか、いやはやまったく恐ろしいお話だと思いながら買ったばかりの鎌を片手にがんがんと首切りサイクルに突入していったら、案外リズミカルにその蛮行が進行していって、妙にハイになってきた。6月の日差しが強く、30分もすれば全身汗まみれになって、のどがからからになる。配偶者が買って来てくれたスポーツドリンクを飲み干し、握力が怪しくなってきたら一休みしてシャワーを浴びてシャツを換える。午後からは母が自転車でやってきたので(本当に来た)、積んだ草束を大型のゴミ袋に入れるように頼む。長男は鎌が弄りたくてしかたがない。近づくのを注意して、配偶者に相手をしてもらう。


近所の人たちが、通りすがりに驚いて声をかけてくれる。あらまぁ。気にはしていたんですけれどね。力がおありになるのね。いやいや、なかなか大変ですけど。もっと早くやればよかったですかね。草の根本からは様々な生き物が出てくる。ダンゴムシ、やもりかとかげのようなは虫類、その他エトセトラ。ダンゴムシの大群の慌てようはコミカルで、「となりのトトロ」のまっくろくろすけの引っ越しを彷彿とさせる。なにか、1種類だけ大きく太い根を持った、樹木のような草があって見上げてしまう。蝶が飛び、毛虫が逃げ出す。そういえば先日作ったデッキには、数日おきに猫がやってくる。決まってデッキの上で身繕いをして、隣の家に抜けていく。4月には、駅前から家に向かう夜道でたぬきに出くわした。道の反対に気配を感じて、ふと見たら目があった。たぬきは逃げもせず、そのまま道の反対を私と平行してあるき、家の前で別れた。先月は小学生の群れがこの空き地に入り込んで、かなへびとりをしていった。長男も混ぜてもらった。


我々が来る前からこの土地には様々な出来事が折り重なっており、私たちはその出来事の一部になる。かつてこのような地域コミュニティは重く、苦しく人を縛りつけるもので、都市化によって解体されることが「自由」へのあるべき姿として語られていた。その状況が変わったかどうかは分からない。しかし、例えば子供を育てるとき、そのような個人の自由は、核家族にとってむしろ過酷な孤独でしかない。隣の家のおばあちゃんは長男に会うとお菓子をくれる。お向かいの奥さんは地元の小学校や中学校の情報を(うわさ話として)教えてくれる。公園で出会う人たちとはしつけの考え方を教え合う。こういう関係性からもし私たちが切り離されていたら、家族は窒息し自閉してしまう。


草刈りは、適当なところで切り上げた。名前の知らない花が咲いていて、刈ってしまうのがおしくてその周りをなんとなく迂回していたら、まぁおおよそこんなもんだろう、という気がしてきて手がとまった。刈った草を纏めて、母を返した。長男は昼寝から起きたらおばあちゃんがいないので、探していた。おみやげ(?)にもらったぶどうを喜んで食べた。草はほとんど全て根が残っているから、放っておけばまた茂るだろう。今後は様子を見て、ちょっとずつ手をいれて行くことになるだろう。残った根本と、私たちは上手くやっていかなければならない。