六本木の森アーツセンターギャラリーでボストン美術館展。モネで1コーナーを作っているのが特徴的なのだけれども、そういうキュレーションを無視して個人的に最も重要だと思えたのがセザンヌだ。1877-79年に製作された「池」は、セザンヌの特異性をはっきりと表している。キャンバスに油彩で描かれている。画面右上部に樹木がある。右上から左下へのタッチが連続してこの樹木と湖畔の斜面の草原を描写する。画面左にも樹木があり、この樹木の右半分は左上から右下へのタッチで描かれ、それがそのまま左上から右下へ流れる斜面をなす。この、左上から右下への流れと、右上から左下への流れのぶつかり合いによるV字構造が注目に値する。セザンヌにおいて主軸となるのは右上から左下へのタッチで、実際この作品でも左上から右下へのタッチは左の樹木とその右側の斜面の上部、及びこの左上から右下へ流れる斜面にいる人物だけに限定的に見られる。画面上部にある空も右上から左下へのタッチで描かれる。


左半分の、右下への斜面中の人物群は左から座る女性とその右に立つ男の2人組、斜面に寝そべる男と女の2人組が右上へと競り上がりながら描かれる。反対の右上から左下への斜面中の人物は2人、中央よりにやはり寝そべる男が一人、右上から左下へのタッチにそって描かれる。その右下に池にボートを浮かべる男が描かれる。人物は明らかに左側の4人が大きなボリュームで描かれ、右の2人は小さく圧縮されている。画面中央から右へ1/8弱ずれた所にあるV字のぶつかる地点から上へ、ごく細い樹木が垂直に描かれている。画面下辺には池の水面が描かれるが、ここのタッチはおおよそ横方向に置かれ、部分的に斜めの動きが入る。水面は左下から徐々に右上へ上昇するが、垂直の木の下で右下へ下降する。この木の像が下の池に白く描かれる。色彩に関しては画面右半面に明るく鮮やかな緑が多く使われ、合間にオーカー系の褐色が入り込む。左半分は明度が落ちた緑の中に明るいブルーグレーあるいは褐色で人物が配置され、強いコントラストをなす。斜面と池の接線は暗い色で示される。


V字にぶつかり合う運動は、画面構成上の面積比において左上から右下への動きが優勢であるが、セザンヌのタッチに内在する右上から左下へのベクトルの集積がその優勢性と拮抗する。この衝突の結果、絵画平面は折れ曲がり屈曲し、中央から右へ1/8弱ずれた箇所に打ち込まれた垂直の樹木において宙から支えられる。しかしそれはバランスされているというよりは、この屈曲をより複雑にしているように思える。樹木によって強調された、V字構造の上半分はいわば「山折り」になり、反対にその下は「谷折り」に凹む。このへこみは池の白い樹木の像によって強調される。池のほとりの黒い接線も「谷折り」に見えてくる。例えば、方形の紙をまず上から下へ半分におり、その紙を更に左から右へ半分に折ることを考えてみよう。この紙を改めて広げれば水平の「谷折り」ができ、その上半分に「山折り」が、下半分に「谷折り」が形成されるが、ボストン美術館セザンヌ「池」は同様の歪みが生成されていると言っていいかもしれない。このような奇妙な絵画空間は、しかし「池」の一側面に過ぎない。例えば人物の配置を見れば、左下からまず高く右上にあがり、徐々に右下へ落ちて行く放物線を構成しており、この円弧の張力が、セザンヌ的な右上から左下へのタッチの力を受け止める。


セザンヌの、絵画平面の明白ないびつさ、あるいは奇矯な表現をあえて使えば多次元平面、とでもいいたくなる特徴については昨年のPOLA MUSEUM ANNEXでの「美術を変えた9人の画家」展での「砂糖壺、梨とテーブルクロス」についても書いたが(参考:id:eyck:20091029)、今回のボストン美術館展での会場でも際立っていた。POLA MUSEUM ANNEXでと同じく、そこだけ壁面が歪み時空の特異点が形成されていて、そのことに展覧会が(正確にはキュレーターが)気づいていないように思えたのが不満ではあった。この作品の、構成上のポイントは寝そべる男女の足下(というよりは斜面に座る女性の右下か)におかれた水桶で、この1点が、画面を観客の視点に対し水平なだけでなく垂直に貫いている。ここにおいてのみ、画面内の動きは停止しキャンバスの奥から手前へ(あるいは手前から奥へ)貫通する矢になっていて、見る者を釘付けにする。セザンヌ「池」においては、観客が作品を見るのではない。作品が観客を射撃するのだ。展覧会は終了している。