森美術館完全?レビュー#3

六本木クロッシング」展・全作品コメント、その1。

入口に新聞形式の作品マップがあります。これは必ずゲットしましょう。地図なしでこの会場を歩くのは無謀です。美術好きな人で、解説を読むことをかたくなに拒否する人がいますが、ここでそれをやると1/3くらいの量を見た段階で、残りがどうでもよくなってしまいます。ぶっちゃけて言えば、六本木ヒルズに来た段階で、あなたのこだわりは半分水没してる筈ですから、ここは素直にマップを持って、丹念に作品を探した方が得策です。
今回の全作品レビューは、このマップに沿って進めます。

●1. 加藤美佳
絵画、なんだけど製作工程が複雑。まず作家は人形を作り、それを写真に撮って、その写真を絵に描く。
製作の出だしのモチベーションが自己愛なんだとしても、これだけ手間をかけて丁寧に仕事をされてしまうと、流石に時間の積み重ねが画面に「質」として出てきますね。素直に驚けます。ここで見るべきものは、この質と化した時間だと思います。今、多くの「現代美術作品」は、あっというまに、高速に見られる(体験される)ように作られていて、その速度はどんどん上がっていっているんだけど(今や本当に瞬間で勝負する作品ばかり)、この加藤美佳の作品は、そんな「高速度」に対するアンチテーゼとなっていると思います。
要は、ここから始まる多くの作品に対して批評的なポジションを宣言すると同時に、観客に対しても「なるべくゆっくり見てね」と囁いているわけです。本当か。

●2. エキソニモ
GoogleのTOP画面を絵画に仕立てて、それを観賞する観客をカメラでwebに配信している作品。配信してる画像はここで見られます。http://www.exonemo.com/NP/mov/index.html
実はこの作品は、仕立てられた絵画が作品なんじゃなくて、webに配信されてる画像(という状況)の方が作品なんだな。要は観客を作品の要素に巻き込むのが目的というやつで、現代美術が好きな手法の1つだったりしますね。現場ではあまり面白さを実感できないでしょう。でも現場を1度経験してから上記URLをニヤニヤしながら眺めてみるのは、まぁ、面白い人には面白いかも。

●3. タナカカツキ
会場のいくつかの場所に液晶モニタがあって、そこにスズメ化した人間が街の上空を飛び交う映像作品が写ってます。不条理・ナンセンスっぽいユーモアが売り。現代美術版吉田戦車。というか、吉田戦車はもちろん、中川いさみとか中崎タツヤから影響を受けてると思えます。
僕はいわゆるシュールやダダ的ナンセンスを日本という場所で消化したのはマンガの世界だと思うので、この作品はマンガを経由したと思える分、近代日本美術が残したダダの影響を受けた作品より、はるかにマシになっているんじゃないかなと感じます。べつだん作家はシュールやダダなんて意識してないだろうけど(つげなどの漫画家は、明らかに意識的だったはず)。

●4. ミナ ペルホネン
ファブリックのミナ ペルホネンが、なぜかここに出品。ミナのファブリックがヤコブセンの椅子に張り付けられています。タイミングがよければ、同じ生地を使って作られた服を着たお姉さんが、その椅子に座っているのが見られます。
作品単体で言えば、ミナのファブリックよりもヤコブセンの椅子のフォルムが見えてしまう展示になっていると思うが、実はそんなことはささいなこと。

ここで興味深いのは、「親しみ易さと愛され方の深さによって、流行が過ぎたら捨てられる服ではなく、長く使われる服を作りたい」と言っていた皆川明が、「美術」というフィールドに手をかけているという事実です。皆川明は、美術という場に、大量生産/消費のファッション界とは違った世界を求めているのかもしれません。しかし、そこに逆にある種の権威主義がないと言い切れるかな?彼の主張を実現するには、「ファッション界」や「美術界」を「経由」したりせずに、ダイレクトに顧客とパーソナルな関係を築けばいいはずなのでは。単に声がかかったから出したのだとしても、結果的にそれでは済まない事もあります。万一彼が「挑戦」の場ではなく「撤退」の場を探していて、それが美術というフィールドとなるなら危険。

●5. 木村由紀
PoweBook G4が、縦や逆さまに置かれていて、そこに西洋人の顔の写真が写っている。でも、じっと目のあたりを凝視しつづけると・・・。
微妙な怖さや違和感を感じさせるさじ加減はセンスあると思います。「やりすぎない」というのはなかなか勇気がいることだから、自信があるのでしょう。しかし、なぜこの写真の人物が西洋人である必要があるんでしょう?怖さの「質」を考えても、もっと下世話な「(海外に向けての)営業」という意味でも、ここは日本人を使うべきだったんじゃないでしょうか?

どうでもいいけど、この会場で使用されているパソコンは全てMac。アートと言えばMacですか。いやべつに、僕もマカだけど。ま、なまじFujitsuとか置かれても生々しいかもね。

●6. 木下晋
ああ、木下晋をここに呼ぶなんて。しかも出展するなんて。木下晋には、もっともっと相応しい発表の場が与えられていいと思います。経歴も評価もあるけれど、しかし、その評価は十全とは言えない気がします。別段大きな場所で派手にというのではなく、もっと落ちついてみせるべきではないでしょうか。
会場の喧噪や他の作品とは明らかに違ったテンションが、彼の作品にはあります。鉛筆だけで老婆を執拗に描き続けているその重さ。この重量感は、今回の展示の中では、ほとんどブラックホール並みに感じられます。その重量感自体に対して、留保をつけたくなる気持ちもあるけども、しかしこの「とりつかれている」人に、そんな留保は無意味でしょうね。

●7. 小谷元彦
僕はビデオ映像による現代美術と言うのは、それだけで「退屈」と思ってしまうんですけど、この人の作品はちょっと別。とにかく人の神経を逆撫でするのが上手い。上手さもここまでいけば、完全に見せ物として成立してしまいます(他の人のビデオ作品と言うのは、大抵見せ物にすらなってない)。これが美術かと言えば、やはりちょっと違うと思うんだけど、とにかく「残る」。

なぜか旧作が大きなスクリーンで新作が小さなモニタ。やはり旧作に自信があったのかな。もしかしてこれは国内初公開?いずれにしろ、その旧作の方がよく出来ていると思いました。徹底的にフィクショナルでありながら、その世界がやたら生々しく感覚に響くような映像と音楽。ここには主張もメッセージも思想もありません。そんなもんゼロです。ただひたすら「人の神経を逆撫でする」ことだけを追求した、効率のよい「装置」になっています。そういえばオペラシティ・ギャラリーでの映像インスタレーションもそんな感じだったなぁ。

新作は逆に「作品」となることが目指されています。そこには明らかに作者自身の世界観が反映していて、「小手先の策」を極めた旧作にくらべれば、ドン臭い。臭。しかし、多分小谷氏の可能性は新作の方にあると思います。こういった方向性で、なおかつ旧作くらいクールに作れれば、いいんじゃないでしょうか。難しいとは思いますが、やれる人だと思います。

●8. 深澤直人
「±0」シリーズを手掛けるデザイナーによるプロダクトデザインの提案。美術展にあるから特に意味深、というものではなく、単に「こういうの、あったらいいなー」と思えればそれでよし。僕は液晶テレビとトースターが素敵だと思いました。ちなみにこの「±0」シリーズのMD/CD/DVDデッキが、会場を出て下のフロアに降りたところにあるショップで購入可能です。展示作品同様のテイストでかっこよく、値段も安くはないものの、本当に気に入った人なら充分検討可能な金額だとおもいます(15万円くらいだったかな。自信ない)。

●9. 今村源
一見なんてことないゴミバケツ。でもよく見ると?
日常ずらし系。系ったって、今作った言葉だけど。でもこういうの、現代美術で良く見る気がするのは気のせいですか。もうちっとリアルに(表面処理とか)作り込んだほうがいいかも。でもそれだと、誰にも何も気づかれないでおわるかも。うーむ。

●10. 竹村ノブカズ
専用にしきられたスペースの天井?に半球形ミラーがあって、そこに映った観客の姿が作家の作った映像と共に床に投影されます。みんな観客参加型がお好きね。
ちなみにお客さんの大多数が、この部屋の入口付近に固まって床を見ています。なので、部屋の対角線上の奥のスペースは誰もいません。どうせなら、ここに入り込んで、床に写された観客の映像と、それを見ている実際の観客を自分の目で見比べたほうが笑えます。

明日は第二段。ひえー1日の量が多い。最後まで根性もつかなぁ。途切れたらそこまでね。