東京都現代美術館 完全レビュ−(2)

昨日、「球体関節人形展」をクサしてしまいましたが、言いっぱなしというのもなんなので、こちらの展示を御紹介します。
松山賢 個展 2004.3/29-4/17 ギャラリー手
地図などの基本情報はこちら
http://www.geocities.jp/mt_pineart/exihibition.html
午前11時〜午後7時 日曜休廊
松山賢氏のホームページのTOPは以下。
http://www.geocities.jp/mt_pineart/

「人形」ではないので、ご了承を。代りにこれを…ということではなく、あくまで「球体関節人形展」に見られた「ムードで煙りに巻く」作品へのアンチテーゼとしての御紹介です。
松山賢氏の作品は、とりあえず美的なものや文学的なものを切断してしまった場所で作られています。美的なものに美などあるわけはなく、文学的なものこそ文学からもっとも遠いというのは、仮にも表現を行うものにとっては自明なことの筈です。文学は世の「文学的イメージ」を破壊するものの筈だし、美術は「美的雰囲気」などとは無縁な場所にしか成立しません。

松山賢氏の作品は、なんの躊躇もなくポルノに接近し、同化します。そこには美術的であろうとする意志などなく、ただ人体と性にダイレクトに向かう視線だけがあります。そのダイレクトさが、ある一点を過ぎたとき、その作品は美的であることもポルノ的であることも通り越して、単に「作品」となります。
今回の展示では、とくに立体作品で、性を扱う際の松山賢氏の「性器主義」に、違和感を覚えますが(性は性器とは無関係に成立可能な筈です)、一方で作家を消去して「作品だけ」を見るなら、その造形の軽さとギャグ的センスが、松山賢氏の「性器主義」を超えた、自立した豊かさを感じさせる部分もあります。
もうしばらく会期がありますので、時間のある方にはお勧めします。


では、MOTアニュアルのレビュー後半です。
●磯山智之氏の展示は、彼のカルスタ研究の成果の一環なのか、それともこれ単独で「美術作品」として自立させるつもりがあるのか、不明確です。こういった「多様な文化の断片コレクション」というのは以前からありますが、この作品の売りは「ユーモア」が混ざっている点でしょう。例の(id:eyck:20040326)「面白い美術」です。そういった点では僕は高く評価できないのですが、でもやっぱり、あの「辞典の挿し絵コレクション」では、作家の術中にハマるようにニヤニヤしてしまいました。悔しい。


●奥井ゆみ子氏の絵画には、問題点を感じました。さまざまな色をハケでさーっとキャンバスに塗った色面に、小さく人が描かれることで、そのハケによる絵の具面が「空間」に感じられるという絵です。どんな場所でも、どんなものでも、たとえハケでさっとはいただけでも、とにかく「人」がいれば空間になってしまう。その着眼点とセンスは面白いと思うのですが、あまりにも「人」というもの、自明な「人」のイメージに依存した絵画ではないでしょうか。


●小瀬村真美氏の作品は、美術史上有名な「横向きの肖像画」を集めて、デジタル加工によって、その肖像の、動かないはずの「目」が微妙に動くのを見せる映像です。なかなか印象的でした。ぱっと見「なんだよただの昔の名画の写真じゃないか」と思っていると、なんか視界のはしっこに違和感を感じます。その違和感の元を探すように目をこらすと、上記のように肖像画の「目」が、微妙にまばたきしてたりキョロキョロしたりしてるわけです。
とにかく、その最初の「視界の違和感」を確かめようとして理解できたときの落差は、とても面白いです。過去の巨匠の作品の中に、まるで火星の極冠の氷のように凍り付いている時間を、現代の技術で解凍していく様は、美術家というよりは検死解剖医のようです。


山口晃氏は、日本の古典絵巻物の構図法(1枚の画面に複数の場面が連続的に描かれ、時間の経過を表現する)を使って、現代の絵巻を作っています。
とにかくバカバカしいような主題(中西夏之のだらけたパフォーマンス)を、無駄に精緻に描いてチャカしたり、相応に重要な問題を含んだ世相(911テロや、その後のイラクへの自衛隊派遣)を揶揄するように描いてるあたりが「見どころ」なんでしょうが、僕は一番のポイントは、この絵がキャンバスに油絵で描かれているという事だと思います。いろんな意味で毒っけのある作家です。アニメやマンガの影響を感じるのですが、筆運びが上手なため、そういったサブカルチャーのテイストに「のっかる」のではなく、消化して利用してそのうち捨てるんだろうな、というくらいの冷めたものになっていると思います。


中ザワヒデキ氏の作品は「戦後の日本美術史を記述した本」です。作家がこういったことをすると「画家じゃなくて評論家なのか」といった批判を受けやすいのですが、そういう事を言う人は、今の「批評不在」の状況を知らないのです。
実際、現在意識的に美術家たろうという人は、絶対に批評意識抜きに製作などできない筈です。そして、そういった状況にもかかわらず、美術の世界は、「批評」が不足しています。こうなってくると、美術家が潜在的/顕在的を問わず批評家たらざるを得ません。今、美術の批評家としてアクチュアルなのは、岡崎乾二郎氏や古谷利裕氏、ジャーナリスティックな水準でも村上隆氏など、実製作者なのです。

今回の作品も、今の状況を考えた上でのものだと思えます。80年代後半あたりの記述から、徐々に「著者の思い出話し」になってしまった部分はあるものの、それ以前の記述は、登場する作品がMOTの常設にあるもの中心であることと相まって、非常にわかりやすく、優れた入門書になっていると思います。ただ、これを持って常設が見られないのは致命傷です。MOTは、苦しい財政事情を押してこの「作品」を買い上げて印刷し、常設会場に設置すべきです。


三浦淳子氏の映像作品は「孤独の輪郭」を見たのですが、個人的な日常の中に遍在する「老いによる狂気」を誠実に追っていて、なかなかショッキングです。実際に痴呆を進行させつつある父を持つ自分としては、ちょっとこたえました。しかし、これははたして「美術作品」として提出される必然性があるのでしょうか。


ということで、終了です。常設に関しては、中ザワヒデキ氏の作品「現代美術史日本篇」が出版される予定らしいので、ぜひそちらを御一読することをお勧めします。中ザワヒデキ氏のホ−ムペ−ジは以下。
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/index_j.html
個展が名古屋であるみたいですね。