悪意の匂い

TOKI Art Spaceで、馬場健太郎展を見てきました。http://paper.cup.com/toki/baba.html
会場に入ると、かなり強い油絵の具の匂いがします。正確には植物性溶き油(リンシード?)の匂いです。この油は、絵の具に添加することによって、表面にツヤを与えます。実際、会場の作品はどれも強いツヤを持っています。この匂いは、慣れていない人は驚くかもしれません。

この人の絵、変わってます。ちょっとだけ見た感じでは、青い画面に白の細いラインが引かれていて、ネオン管みたいな「光のイメージ」を描いているように見えますが、よく見ると、青い絵の具層の下に、赤い絵の具の層が覗き見えます。というわけで、2つの構造というか、ポイントがあるのですが、この二つの構造が別段からんでいない。

通常、現代の絵画というのは、テーマというか、主要な関心が1枚の絵に対して1つです。今回の馬場健太郎展の作品に則して言えば、青い絵の具層の上にのっかった白いライン、ネオン管のような光のイメージを描きたいひとは、それだけで絵を成立させます。もうひとつの構造、つまり、赤い絵の具層の上に青い絵の具層を乗せて、その重層性が関心事ならば、やはりそれだけで1つの作品にします。複数の要素がある場合は、それらの関係性がテーマになってくる事が多いので、結果的に複数の要素は1つの構造として認知されるように「まとめられて」提出されます。

馬場健太郎展の作品群は、そのいずれでもありません。昨今はやりの映像的(写真的)イメージと、不透明な青い絵の具層にほぼ埋め尽くされそうになりながら、かすかにその青の層の切れ目から赤い絵の具層が覗いているという絵が、基本的に関連性をもたないまま、1つの画面の中に折り込まれています。

大きな枠をあえて言えば、どちらも、「光」に関したものだと言えます。ネオン管のような写真的イメージは、具体的に「何か光ってるものを描いている」と言えますし、赤い絵の具の層が青い絵の具層に隠れながら覗いているというところは、もっと物理的な「反射光」の効果、画面に光りがあたって、それが反射してくるときに、絵の具によって波長の違う2つの光に変換して観客の目に届けるという装置としての絵画を描いているといえます。

しかし、やはり「光のイメージ」を描くのと、「反射光の波長を操作する装置としての絵画」は、一般に対立するのです。僕としては「反射光の波長を操作する」という方に評価の軸を置きたいのですが、そういった一元的な判断が許されないようなものが、馬場健太郎展の作品群にはあります。

上記に紹介したURLの、この展示に対しての作家の発言を読んでも、この「変」さを説明する軸は提出されていません。単に作家の関心が分裂しているという事実を補強するだけです。では、この絵は失敗しているのか。しかし、2つの分裂したレイヤーによって重ねられている違う次元の絵は、それぞれ十分な完成度を持っています。力量の不足している作家ではないのです。「光のイメージ」の絵の方は、そういった映像的な絵が好きな人なら十分評価するでしょうし、赤い絵の具を、青い絵の具の切れ目から見せていく絵も、「装置としての絵画」として、機能しています。

さらに分裂を強調しているのは、展覧会のタイトルが「Blue on Red」とされ、それをはっきりと主題として表明していながら、実作で前面に押し出されているのが、ネオン管のような「光のイメージ」の方だということです。不注意な観客なら、「Blue on Red」の部分に気付かず、単に光のイメージが描かれた絵だとしか思わず帰るでしょうし、後からDMなどを持ち帰って、この「Blue on Red」という展覧会名に気付いた人は、首をかしげるでしょう。

この馬場健太郎展には、会場に入った時に感じる植物性溶き油の匂いに混ざって、幽かな悪意の匂いもします。その悪意の射程は、作家の意図を超えて、かなり長いところまで届いているかもしれません。

info
馬場健太郎
〜4月11日(日) A.M.11:30-P.M.7:00
(最終日P.M.5:00まで)水曜休廊
トキ・アートスペース
http://paper.cup.com/toki/index.html
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TEL/FAX 03-3479-0332