between ECO&EGO展 ピックアップレビュー(2)

この展覧会の正式名称は「between ECO&EGO(エゴとエコの間で)」でした。失礼。
今回は個々の作品から、気になったものをピックアップレビューします。JR川口駅から近い順にいきましょう。会期は今日までですよ!


●石川雷太氏の、川口銀座商店街・コミュニティプラザ内にある「Fragment Project」は、地域住民の巻き込みという点では今回の展覧会中最も成功している作品のように思えます。

商店街わきにある公共の公園内に、真っ赤に塗られた板をイントレ(建築現場用足場)を使って人の目線の高さに立たせ、円形に配置しています。円の一部は切れ目になっていて中に入れるようになっており、中央に白のダーマト(鉛筆形のクレヨンと思って下さい)を使って赤い板に自由に言葉を書くよう指示があります。

簡単にいうと、町中に設置された掲示板です。相当な数の書き込みがあり、もっとも目立つのは10代の若年層の言葉です。町中の落書きとほぼ同じような内容が、膨大に書かれています。下品な言葉も散見されますが、多いのは恋愛に関する告白・祈り・誓い、尾崎豊的な少年期の鬱屈を綴った詩作で、言葉自体は類型的で陳腐ですが、その膨大な量と勢いのある筆跡に10代なりの衝動を感じ取ることができます。美術展の観客、または通りすがりの大人たちによる文言は比較的冷静で落ち着いた内容です。

ずばり、「現実化した2ちゃんねる」という連想が働きます。実際、現場にいた作家ご本人によりと、web上の電子掲示板からインスピレーションを得たとのことですが、このプロジェクト自体は1997年から継続的に行われているともおっしゃっていたので、2ちゃんねる自体との直接的関連はないと考えていいでしょう。

また、実際に2ちゃんねると、今回の「Fragment Project」を比較すると、この「現実世界の掲示板」に書かれた文言には、比較的暴力的な内容が少ないと思えます。差別的言辞や具体的固有名詞を挙げての誹謗中傷などは、僕が見た中では見られませんでした。アクセスlogの残る2ちゃんねるに比べ、この「Fragment Project」の方はほぼ匿名性が維持されていることを考えると、興味深い現象です。また、作品への破壊行為などもみられないとのことでした。書き込みの数は、1日たつと一杯になる程だということで、とにかく「観客参加」をこえた「市民参加形」作品と言えます。また、地域特性にダイレクトに働きかけるシリーズの作品で、独自の手法から「地域環境」を浮き上がらせるものになっているとも言えるでしょう。

ART FACTORY内のFRONTギャラリーでは、六本木クロッシング展と同じ作品が展示されています(id:eyck:20040322のNo.48参照)。また、ART FACTORY敷地内部にも「Fragment Project」の別バージョンがあり、これは作家が質問を記述して参加者が答える形です。


●芝崎邸の小瀬村真美氏の作品は、使われなくなった古い和民家の一室の「ふすま」に、日本画風の映像をプロジェクタで投影し、「動くふすま絵」を実現しています。2対のふすまに、それぞれ春と秋をテーマとした日本画の映像が投影されていますが、よく見ると、描かれている草木や花が成長してゆきます。

この作家は、先のMOTアニュアルでの出品作(id:eyck:20040401参照)に続き、一貫して絵画と映像の関係、特に絵画の中に閉じ込められた「時間」を映像によって解きほぐす仕事を続けていると言えます。絵画と写真の関係を扱う作品は、現代美術の中で比較的歴史を持ちはじめていますが、このように絵画と映像に接点を持たせるという視点は斬新だと思えます。アイディアだけでなく、写された絵画的映像の緻密さ、また今回の、ふすまに対する映像の映写精度の高さ(ふすまの大きさにピタリと一致する大きさで映写されている)などによって、会場となった古民家の魅力に拮抗する完成度を見せています。築100年の家に積み重ねられた時間自体をも「解きほぐしている」と言え、展示空間と作品内容の関係を含めて、極めて完成度の高い作品と言えます。

恐らく今回の展覧会の出品者の中では最若手だと思えますが、そういった事を感じさせない充実した展示です。


●工場跡を彫刻家のアトリエとして提供しているKAWAGUCHI ART FACTORYでは、川上香織氏と高野浩子氏の作品が、制作現場のアトリエの公開制作という形式で観覧できます。トタンで作られた工場内の空間に、雑然と積み重ねられた彫刻素材(鉄・石膏・粘度)、無数の道具、アイディアの元となっているらしい様々なモノ、制作途上の作品や過去の作品などが詰め込まれており、生々しい作家の息づかいが感じ取れる場所です。同時に、情熱をもった作家が、制作を続ける環境を持つことの厳しさも感じ取れます。一概に言ってしまうのは危険ですが、この場所を確保できている二人の作家は、彫刻を志す若手としては、むしろ比較的幸運なほうと言えるのではないでしょうか。

川上香織氏は鉄を素材とする作品を作っており、今回川口市内で出た廃材を元として制作をしています。川上氏なりの、環境をテーマとした展覧会への関わり方と言えるでしょう。高野浩子氏は、木材で本と本棚を作り、焼失した実家の本棚の再生を試みています(ご本人が会場で観客に語っていました)。高野氏は普段、具象的な人物像を制作しており、作品のいくつかも会場のアトリエで見ることができますが、今回の作品は、この作家の射程距離が、そういった作品よりも遠くまで伸びていることを示していると言えます。


●同じくKAWAGUCHI ART FACTORY内の別室に設置されたヒグマ春夫氏のインスタレーションは、氏が近年続けている「水」をモチーフとした作品です。会場内に丸く保湿綿を敷き、そこにカイワレの種を蒔いて発芽させ、会期中に成長する様を見せています。使用された水は川口市内で採取されたものです。また、会場壁面には、かつて他の地域でヒグマ氏が採取してきた水のサンプルが、ガラスの容器に入れられて置かれています。また、会場では極地の氷がたてる音も聞くことができます。

環境を考える上で重要な素材である「水」を追いかけている作家であり、今回の企画に無理なくマッチした展示となっています。大上段に「地球環境」を訴えるのではなく、あくまで地方を巡るフィールドワークの中から、点を繋ぐように大きな視点へと観客を誘導する手腕は、流石に手堅いと言えます。当然今後も継続される制作行為の1通過点としての作品でしょう。

僕は4月に行われた岡本太郎記念現代美術館でのヒグマ春夫氏の個展を見ているのですが、会場内に多数の映像作品を集めていた個展では、若干展示が整理されていない印象がありました。映像インスタレーションというのは、作品間の「距離」がある程度ないと、互いの作品が干渉してしまうところがありますので、これは会場の問題でもあったかもしれません。今回のKAWAGUCHI ART FACTORYでの展示は、広くない場所でありながら絞って作品が設置されていることもあり、むしろ個展の時よりも焦点が明確に感じ取れるものになっていると思えます。


●旧リサイクルセンターの兼古昭彦氏の展示は、古い倉庫の大きな空間を利用したものです。高い場所から床面近くまで釣り下げられた多数のCCDカメラは、無人の状態では下を向き沈黙していますが、観客を感知すると、モーターを駆動させて「首をもたげ」、周囲の状況を撮影しはじめます。撮影された映像は、別室にカメラの数だけ設置された白黒液晶モニタに送られ、映し出されます。床と、カメラ周辺を動きまわる観客の足下が、断続的に写ることになります。むき出しのコードや機材、液晶モニタおよびCCDカメラの電子部品の露出に、この作品が生み出される具体的なプロセスが感じられ、他の作家が映像を扱う際に見られる、映像の効果だけを観客に与えるような態度とは違った、兼古氏独自の意識が見られます。

この作家は、先に銀座のフタバ画廊でも、同様のシステムを用いた作品を発表していました。この時は、地下の狭い会場に円形にモニタとカメラを並べ、カメラを覗き込む観客を、時間差をおいて並んだモニタにランダムに映し出すというものでした。

このことを考えあわせると、作品を置く会場、その空間に、非常に意識的な作家だと言えます。また、仕掛けられた差異、つまり撮影された時間と映像が流れる時間的遅延、および撮影された場所と映し出される場所の距離の差が、人の記憶や感情を浮き立たせることになり、ハイテックな機材を扱いながら、むしろ内省的な印象を与える作品となっています。


●同じく旧リサイクルセンターの別室にある広田美穂氏は、天上から川口市の地図を地域ごとに分割して吊るし、そこに地域住民の観客から「お稲荷さん」のある場所をマーキングしてもらうことによって、川口市内の「お稲荷さん」の分布状況を浮かび上がらせようとしています。

一見文化人類学的なフィールドワークに見えますが、この作品のポイントは「地域住民からお稲荷さんの在り処を教わる」というところです。一部作家が調べたものもあるようですが、あくまで作品コンセプトは「教わる」ところにあります。

この場合、お稲荷さんは素材であり、別の場所では別のモチーフが選ばれるでしょう。開発が進む郊外で、消えて行くものと、古くから残された記憶が交錯する場面を、観客の心に現出させる装置であり、社会学的なものではなく、あくまで美術作品として見られるべきものです。ビジュアル的な魅力に少々欠け、また十分なインフォメーションが地域に行き渡っていないなど、弱点も大きいのですが、ユニークな切り口が光る作品です。


ふう。これでも一部なんですが。

between ECO&EGO