作品と人を繋ぐ意志

クラフト関連で見に行く予定のものが二つ。
●時計作家・内田さん(http://www.uchida.ws/)の個展

内田さんの時計は樹脂の透明感の中に針金やビーズで遊び心をちりばめていて、綺麗。こちらをごらんあれ。

もちろん現場で買えます。webでも買えます。先日聞いた話しだと、近日府中にお店をかまえる計画だそう。地方のクラフトイベントの出品も忙しいみたい。

●Ten coin art(http://www.masuii.co.jp/tencoin.htm

「1000円で買えるビーズアクセサリーとキャンドル」という展示。まだできたばかりのギャラリーだけど、地域の人にもっと存在を知って欲しいと思っての企画だそうな。はてなidid:mermaid0101。打ち合わせに来たという、作家さんの知り合いがシナプスhttp://www.synapse.gr.jp/)のワキタさんでびっくり。ワキタさんは上のウチダさんと共に、MONOBIT workshops(e)(http://www5a.biglobe.ne.jp/%7Ekhr_ynyk/monobit/index.htm)で知り合ったデザイナー+ミュージシャン。世間は狭い。で、オープニングで彼がサックスを吹く件はどうなったんだっけ。


僕は上記のMONOBITだけではなくて、いくつかの場所で工芸作家・クラフト作家と呼ばれる人々と知り合った。彼等と僕との最大の差は「作品で食べている」ということで、会って話すと、美術家どうしで会った時とは、出て来る話が違う。もちろん彼等は単にビジネスライクなんじゃなくて、自分達のやりたいことと、「お客さんに買われる」ことの接点を、毎日毎日ギリギリの場所で測りながら、その緊張感に基づいて製作してる。

売れない美術家で「別の仕事」を持ってる僕の立場としては、そういう立場なりの言い分というものがあるし、安易に「売れっ子狙い」みたいな作家になりたいとも思わないのだけど、だからといって「自分の作品を作ることにしか興味ない」という態度を「外」への接点を持たない事の言い訳に使ってしまってはヤバイと思う。

最初から「売れっ子狙い」な作家も美術館も画廊もたくさんあって、そこでは日々「欽ちゃんの仮装大賞」みたいな一発芸が繰り広げられていて、そういうものにははっきりと背を向けたいと思うけど、それが同時に「自閉」になってしまってはいけないと思う。むしろ、相応の意地を持って製作している人間にこそ、ある程度の「営業活動」が必要なんじゃないかと思う。

製作自体には誠実で、いい作品を作っている美術家にかぎって、ハナから「作品が買われる」ということを棚上げしていたり、「いつかは…」みたいな蜃気楼を抱えながら「別の仕事」も持ってる。で、そういう作家は、不思議なことに「営業活動」に否定的なことが多い。気持はわかるけど「自分の作品を作ってればいい」という態度は、危険だ。いい作品を作っているという自負があるなら、「評価はあっても食えない」という美術の世界の不可思議さにも気づくべきだ。

このページを始めてわかったのは、言われているよりも美術に興味を持っている人はたくさんいる、ということだったりする。いろんなことに敏感で、生活の中で「何か」を感じながら、その「何か」が何であるかを考えている人々は、確実にいる。そして、そういう人は美術という場所にヒントを求めていたりする。なまじ下手な美術業界のウチワの人より、よっぽど真剣に、切実に美術というものを欲している。驚くけどほんとだ。

でも、情報がない。きっかけがない。作品までのアクセスがわからない(平気で展覧会会場の地図をwebに載せない人がいる)。そういうものが豊富に提供されているのは「一発芸」のほうだけで、そんなものばかり見せられた人は、確実に、飽きる。美術作品を見るという行為の、本当の快楽を知る前に、末端神経への浅い刺激をくり返された段階で疲れて、去ってしまう。そしてあいかわらず、美術界全体は「貧血気味」になって、ますます一発芸に走ってしまうという悪循環がある。

僕は友人のクラフト作家達のように「今日の夕飯を今日の作品で賄う」という立場に立つ事ができない。でも、だからこそ、せめて、最低限の「人と作品を繋ぐ」努力をしていたいと思う。既存のメディアへの苦情を言っているだけだったり、知り合いの範囲の権威付けゲームに留まってるだけになってしまっては、やはりいけないと思う。