国芳/暁斎展

東京ステーションギャラリーで「国芳/暁斎展」(http://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp)を見て来ました。結石再発させてしまったので(?)軽いレビュー。


面白い/つまんないで言えば、面白い。優秀なグラフィックデザイナーの仕事展みたいな感じです。暁斎狩野派という位置付けもされる場合があるみたいですが、どちらもイラストレーション。別段悪い意味はまったくなくて、これだけ優秀なイラストレーターの代表作が並んでみられると、やっぱり楽しい。緻密な画面に軽快な遊び。こりゃすごい。


展示も、二人を分けてしまうことなく(個展が二つ、という感じでなく)各展示室をテーマごとにわけて二人を並列させていて、共通項と差がはっきり見えるようになっています。当時のこういうイラストレーションは、ある形式が前提的にあって、さらに時代の気分みたいのも汲んで作られているから、この二人に限らず「形」が機能していて、その形の中での突き詰めかたや遊び、崩し方に絵師のオリジナリティが出るわけです。そういう意味でも、妙な芸術家主義を出さずに「美人画」とか「風刺画」という「形式」の中での二人の差異を見せるというのは、良い展示コンセプトだったんじゃないでしょうか。


面白いのが、試刷りの校正に絵師(国芳暁斎か、どっちだったか忘れました)が赤字を入れてる資料が残ってるところです。浮世絵、というか木版は、当時絵師は下絵を書いて、版木彫りと刷りはそれぞれ別の職人がやるわけで、今の印刷物におけるデザイナー/ディレクターと後工程の技術者の関係と同じです。印刷物に関わったことのある人ならわかると思うけど、デザイナー/ディレクターの指示や意図に沿ってオペレーターや印刷機を回しているひとが刷り上げたものを、改めてデザイナー/ディレクターがチェックして、「ここもう少し明るく」とか「やっぱりここはこうして」とか、直し=赤字を入れて印刷物を完成させますよね?そういう事が、当時の浮世絵とかでも行われていたわけです。


ですから、出来上がった「作品」の緻密さの、ある部分は後工程の技術者のものでもあるんだけど、それで国芳暁斎の評価を動かす必要はありません。むしろ単なる絵描きではなく、社会の仕組みの中で職業人としてあった彼等の、仕事をする人としての優秀さを示しています。そういう意味でも商業デザインに関わる人が見に行くといいかもしれません。


注目すべきは、明治22年没の暁斎が、晩年上記のような「絵師」ではなく「画家」としての仕事をはじめようとしているように思えるところです。東京美術学校の設立が明治20年フェノロサなどにより、西欧の「絵画」に対応するものとして「日本画」という概念を確立しつつあったこのころには、徐々に従来の「絵師」ではない、近代的な意味での「画家」という存在が認知されつつあったのでしょう。もちろん、ここでの「日本画」という言葉はこの時発明されたもので、伝統的な国内の「絵」とは違います。とても近代的な概念なのです。


絵師として名なり功なりをあげた暁斎が、さらに時代の変化に対応して近代的な画家を志した、ということは非常に興味深いです。ただ、国内でもしっかりと美術の近代化が確立するのは明治20年以降でしょう。明治22年に59才という年齢で暁斎が亡くなっていることは、何か暗示的な気がします。文字どおり、暁斎は最後の絵師であったのかもしれません。


国芳/暁斎