南天子画廊で常設展がおこなわれていて、そこに岡崎乾二郎氏の旧作が4点置かれていました(一緒にあったのは菅井汲氏の作品)。

小さめの作品群です。会場入って左手の壁面にある1点は油紙?のような、濃い褐色で透明感の感じられる紙にアクリル絵の具の大きなタッチがあるもので、大きさはだいたい45cm×40cm程度でしょうか。額装されています。残り3点はいずれも綿布のキャンバスにアクリル絵の具で描かれているもので、うち1点は上下に並んでいる2枚で1作品となっています。大きさは、油紙の作品の隣にあるのと会場正面の壁面にあるのが縦90cm×横70cmくらいと思えます(会場正面の作品はアクリルボックスで額装)。もう1つの壁面にある、上下2枚で1対の作品は縦90cm×横140cmくらいと思えます。この上下に2点並んでいる作品は、最近(といってももう長い?)の岡崎乾二郎氏によく見られる、タッチがそれぞれのキャンバスで反復されるものです。


岡崎氏の作品の重要なポイントは、基底材に絵の具が「染み込んでいない」ところだと思います。水分の少ないメディウムと顔料で練られた絵の具が、キャンバスに浸透することなく定着させられていて、しかもその絵の具が十分な厚みをもち、絵の具自身にふくらみがあるため、絵の具のふちが「まわり込んで」キャンバスに接地していたりします。そのため、各タッチが染み込んでいないどころか浮遊している感覚を観客に与えるのです*1


この、基底材と絵の具の乖離は、キャンバス側からも仕掛けられています。綿布がそのまま使われ、下地が作られない=綿布に地塗材という絵の具が「染み込まされて」いないため、綿という素材が対立的に絵の具と接することになり、結果そこには浸透(感覚)が一切発生しません。乾燥した綿布に水彩絵の具をのせると染み込まず、表面張力によって水玉となって綿布と完全に別の物質として浮き上がりますが、それとほぼ同様の状態を成り立たせながら、しかし堅牢な絵画作品として構築されています。そしてキャンバスも、掛けられている壁面から断絶させられるように、意図的に厚みを拡張されています(岡崎氏の作品では、「厚いキャンバス」を作るのではなく、キャンバスの木わくに改めて別に厚みをつけるための材が足されていたりします)。


画面内部の絵の具どうしの関係性の複雑さ、各タッチが独立性をもちながら(各要素が「重なりあう」ことはあっても「混濁する」ことのないまま)呼応しあうという、絵それ自体が作り出す知覚の錯綜と同時に、上記のような絵の「基礎工事」までもが、岡崎氏が絵を描く所作と同じく緻密に建築された結果、オールオーバーな抽象絵画が陥る「壁面にかけられた単一のモノ」といった次元に落ち込まない作品、壁にある1枚の絵でありながら、観客はそれが幾重にも浮き上がり、どこか一つのレイヤーに焦点を当てようとするとかならず何処かが盲点になったり或いは別の層が浮上したりする絵画が現前してくるのです。


岡崎氏が(当然のことながら)現実の物質と条件を操作する技術によって、その作品の抽象性を作り上げていることが改めて分かります。そしてやはり、この作家が彫刻(立体)作家でもあるということは、絵画作品においても重要な意味を持っていることも再確認できます。


この常設展、いったい会期がいつまでなのかが判然としません。少なくとも先週より前からやっていましたから、見たい人は早めにどうぞ。事前に画廊に電話をして会期を確認してもいいかもしれません。


南天子画廊 常設展


この画廊の窓から、道路を挟んで反対側にある別の画廊の展示が見えるのですが、そこに丸山直文氏の旧作が展示してあったのが印象的でした。丸山直文氏といえば、もう徹底的に「絵の具のキャンバスへの浸透」によって絵を描いていた人で(今は随分絵が変わったようですが)、そのような作品がまるで岡崎氏の作品と対峙するかのようにあるのが、巧まざる偶然と言う感じでした。興味深い光景になっていますので、気になる方はそちらもどうぞ。同じ会場には堀浩哉氏の作品もありました。

*1:絵の具がアクリルで、油絵の具のような重さの印象を持たない、樹脂独特のかるさを感じさせる質感であり、そのことが強調されていることも絵の具が画面から乖離して見える原因となっています。