スゥ・ドーホー展

メゾン・エルメスでスゥ・ドーホー展を見て来ました。
インスタレ−ションです。建物の8階と9階の吹き抜け部分の全体を使っています。吹き抜けの中間を布で水平にしきり、その真ん中近くに上下対称に韓国出身の作家の実家の門を模した立体を、同じ布で作っています。


最初に会場入口のある8Fから見た時は、天井を覆う水色の布から東洋風の建造物を模したモノが逆さまに吊り下がっていて、その意図が掴めなかったのですが、9Fから見た時、吹き抜けを挟んで上下にある「門」が、水上に立った門とその水面に映りこんでいる影のように見える事が狙われているのが理解できました。上から見ている時は下の階にいる人が水中を歩いているように感じられ、また改めて自分が下の階に降りると、水中から水面を見上げているような感覚を得ることが(作品から)期待されていると思えます。


水色の布は化学繊維でメッシュ状になっており、作品全体が「透けて」います。上下対称に作られた「門」は内部に針金によるフレームが確認できます。このフレームが骨格をなし、皮膜のように門の造形が形作られています。門の瓦部分にはチェーン・ステッチで鳥や龍のようなものが刺繍されています。この門型の立体は天井から釣り下げられています。


メゾン・エルメスのビルはレンゾ・ピアノのデザインで、外壁全面が大きなガラスブロックで囲われています。会場となった8F/9Fはこの建物の最上部に近い所にあり、2フロア分の高さのある吹き抜けを囲っているガラスブロックは直接外部が見えるほど透明ではなく、これも「透けて見える」感じです。厚いブロックで屈折した外光が拡散して内部に満ちるため、空間全体が柔らかい光で満たされます。このことも十分配慮された作品であり、スポットライトが1灯、門の直上にある以外は強い照明がなく、「光線」に対して極めて繊細な配慮がはらわれています。


作品の下にいる時は、ガラスブロックによって拡散された外光が更に頭上の布によって青く、弱く拡散され、空間全体が茫洋とした存在感の希薄さを感じさせます。それに対して作品の上では、光が布を通過しない分だけ空間全体がはっきりと見えます。


門、水面をイメージさせる布、「透ける」光りの全面的な使用、観客に2つのフロアを往還させるという構造から、この作品が「行き来するもの」あるいは境界線/境界面といったものを主題にしているのは明解です。ニュ−ヨ−ク在住の韓国人作家による作品という情報も含めれば、この「往還・境界」という主題は、ある社会的メッセージも含むことが考えられます。この作品のポイントは、そのような明確なメッセージを軽さ、浮遊感、包容感を効果的に使う事で示していることです。作品を宙に吊り、布という軽い素材を使い、そこに繊細な造形を施し、ガラスブロックや布を透過する拡散した光りで会場全体を満たし、青い色彩と水平な布/上下対称の門で水のイメージを喚起させ、作家の生家の門をモチーフにすることである種の郷愁をも誘うという手つきは、徹底的に演出的であり、観客を(こう言っていいなら)幸福感の中に溺れさせながら、そこにそっとメッセージを忍び込ませるという緻密なインスタレ−ションとなっています。


構成が完璧であるため、観客がいわば「支配」されてしまう点、外の光りを使用しながら、しかし作品自体が外部を遮断し、母体内的全体感で空間を満たしてしまう点などに抵抗を覚えますが、ここまで極められてしまえば「仕掛けられた効果」とは違った「お見事」という肯定的印象も生まれます。


個人的には2001年にオペラシティ・アートギャラリーで開かれた「わたしの家はあなたの家、あなたの家はわたしの家」展で展示された、スゥ氏のニューヨークのアパートの一室をやはり布で再現した作品の方が、美術作品としては優れていたと感じます。全体が見渡せず細かく細分化された空間、布という柔らかな素材で都会の味気ない賃貸ルームを再現したという対立的構造、非日常性と日常性の落差といった複雑さがあり、観客を単一方向に支配しなかったからです。今回の作品は、洗練が進み遥かに効果的になった分、その枠組み自体は単純化してしまったように思えました。


しかし、スゥ・ドーホー氏は布によるインスタレーションの他にも多様な技法を駆使してきた作家であり、今後どのような展開を見せるかはわかりません。その妥協のない緻密さは、やはりこの作家の強力な武器だと思えました。会期終了が迫ってますので、その「徹底ぶり」を見たい方は急いでどうぞ。僕が行った夕暮れ時は、明るさがダイナミックに変化するのでお薦めです。但し、6:30過ぎるともう会場に入れないのでご注意を。こんな事になりますよ→id:eyck:20050223


●スゥ・ドーホー:リフレクション