ブリヂストン美術館「印象派と20世紀の巨匠たち」(3)

※この展覧会は既に終了しているので注意して下さい。
マチスの「画室の裸婦」について。カタログでは1899年の作品とされている。縦66.2cm×横50.5cmの厚紙に油彩で描かれている。


画面のセンターからわずかに左よりに、片足に重心をかけ立っている左向きの裸婦が画面を縦に貫いている。この屹立した裸婦の緊張感は、まず画面ほぼ中央にある腰から垂直に降ろされた左足のテンションの高さに支えられている。画面のほぼ全体が短いタッチの集積で描かれている中で、裸婦の足は比較的長いストロークで真下に向かって引かれており、この鋭いストロークが豊かな曲線を描く臀部・腹部と白を混ぜた明るい背中の面に囲まれボリュームを感じさせる腰の存在を、重力に抗して高い位置に浮かせている。この腰の上に乗る上半身は、やや緊張をほぐしてゆるやかに胸の前で組まれたV字の左腕、肩から乳房を隠すようにかけられた緑の布、顎を上げて少しだけ上を向いた頭部と続いて画面を完全に縦に2分していて、裸婦全体が作品を決定的に支える柱となっている。


この垂直な裸婦はほぼ朱で描かれているが、そこに向かって右の背景の壁面を示す緑のタッチが押し寄せてくる。画面右上端ではまばらな緑の斑点が、裸婦に近付くにつれて密度を増し、その後頭部、背中、腰、臀部に集中してゆく。裸婦の背中のでっぱりから突き出た臀部につながる「へこみ」の部分にかけてそのせめぎあいがもっとも厳しくなるが、ここでそのぶつかり合いを押さえ込むように、裸婦の輪郭に沿った濃い緑の線がひかれる。


まばらな右上角の緑はそのやや下で裸婦の足下へ向かうような左下へのストロークを見せ始める。その流れは裸婦の足にぶつかる前に垂直のタッチとなっていく。そのタッチと裸婦の臀部/脚に挟まれて描かれた、画室の向う側に座っている人物は、緑の壁面と裸婦双方によって押し潰されたように描かれている。この人物の右下には緑の壁面に向かっていく床が、黄色い絵の具のタッチで描かれている。床と壁がぶつかる右にはもうひとり人物がいるが、この人物は観客の注意をひかない程度に薄く描かれ、その顔から肩はほぼ余白となっている。


画面向かって左側の空間は、裸婦というダムにせき止められた緑の動きの緊張から開放されたような、比較的まばらな縦のタッチで描かれている。青、白、朱、紫、黄といった色彩が、点々と置かれていて、その隙間には基底材の厚紙の褐色が覗いていて全体に明るい。この壁面は画面に正対する緑の壁面に対して奥行に向かう方向を持っていて、2つの壁が交わる角は裸婦のすぐ左側にある。この部分は不裸婦の顔の横では濃い青、腹部横では紫、足の横では紫、緑となっていて、この暗い色彩が彩度の高い裸婦の朱を浮かび上がらせている。画面一番下には、下辺全てにわたって、裸婦の立つ台座が緩やかな円弧で描かれている。


この「画室の裸婦」には、いわば「力動の戦い」がある。裸婦のストロークに圧力をかける壁のタッチ、朱に対する緑のコントラストが鋭い対立となって作品の大きな部分を規定しているが、この「戦場」を活性化しているのは画面左の壁や右隅の人物のゆるやかさ、あるいは抜けであり、また朱を浮き上がらせる裸婦左の暗い色であり、画面右下の、この画面中珍しく右下から左上への方向を持つ黄色いタッチの床だといえる。裸婦自体も硬直した単なる縦の「棒」ではなく、しっかりとした腰を中央にかかげている左足に対して、奥に見える右足は軽く曲げられリラックスしているし、上半身には腕のV字と肩に掛けられた布の三角形があり、右上を見る頭部がある。そういった様々な動きを見せる裸婦に対して、背景の緑も背中では真横にぶつかり、後頭部では髪の毛のタッチに即した動きを見せる。臀部下では「挟まれた」人物によってまた別の局面が持ち上がる。


これらの力動は綿密に検討されたもので、マチスが中心と言われた「フォーブ」という呼称の響きからは遠く離れている。同時にそれは画面のいかなる場所にも死んだ場所のない、躍動感のある絵というよりは「躍動そのもの」を示しているように見える。