ブリヂストン美術館「印象派と20世紀の巨匠たち」(4)(最終回)

ロダンの彫刻「カミーユ・クローデル」について。カタログでは1889年の作品で、高さ24.5cmとなっている。ブロンズ鋳造で作られている。正面を向いた婦人の首像だが首はほとんどなく、粗く薄い台座からほとんどすぐに顔、頭部になっている。顎の下と台座の間はほんのわずかしかない。豊満さがなくやや鋭い印象の顔面には表情がない。鼻が細く高く立ち上がり、鼻梁が高さを保ったまま額へと続く。


額は広い面積で、左右両側面の耳までゆるやかに落ちながら後頭部へ続く。向かって左、像の右目上にはへらのようなもので平らに面を押しつぶしたような平滑な痕跡がある。額は頭頂へと傾きをみせたところで頭髪らしい、やや起伏をもった部分へと移る。髪の毛は頭頂部でまとめられていて、そこにはやや凹凸があり、後頭部には長い髪を巻いたことによるらしい深い穴が1つある。おとがいから耳にかけての顎の線ははっきりとしていて、その後ろには首の付け根が露出している。


像自体に動きはないものの、各部の「面の動き」、面のベクトルはおおまかに言って像の背後へ集まろうとしているように見える。広い額は耳を通り後頭部に回り込み、顎の線はシャープに耳の後ろへとせりあがる。鼻梁は像の中心を射抜いて後ろの首の付け根へと貫通するような高さと細さを見せる。前からは殆どみえない首は背後では台座から相応の長さをもって後頭部へ伸び頭蓋に接続している。もちろん頬、口元、眼下などには細かい動きがあるが、表情がおさえられているため、上記のような大きな動きを邪魔することなく全体の中に埋没している。


カミーユ・クローデル」には、卵を逆さまにしたようなフォルムの一体感が目立つ。前から見ると首が極力はぶかれ、顔の表情は消されている。額が極端に広くとられ、ここの面の流れが像の存在の印象を決めているように思える。髪は小さくまとめられ、頭骨のフォルムの方が強く感じられる。無骨な台座は薄く、それに対して像本体はストイックな形態で眼下の顔、額、頭蓋上部が後頭部で接続され全体に連続性を失わない。表面は極めて的確なデッサンで無駄のない面構成をなしており、この厳しいサーフェイスが周囲の空間から像を切り出し断絶させ、単なる存在感ではない「存在の開示*1」にまで届いているように思える。ブロンズの重さに圧倒されるでもなく感知するのが難しいほど小さくもない大きさ、質量も、この作品の在り方を重大に規定していると思える。


表情の扱いに見られるように、ロダンはモデルの内面や感情には一切視線を向けることなく、人物の頭部という物の存在そのものに主題を絞り込んでいる。無駄を排除し、徹底して即物的な手つきでモチーフを測っている。優美とは言えないブロンズの塊には粘土を盛っては削り、押えてフォルムを組み上げていった痕跡のみがあり、例えばベルニーニの大理石の像のような「(溢れる)肉」へのフェティッシュなまでの表面の処理(「石」を「人体」に化そうとする意志)とくらべると、その唯物性(ブロンズをブロンズとしてだけ提出する指向)は際立って見える。*2

*1:ハイデガー

*2:カミーユロダンの有名な関係及びその結末を想起することは作題から避けられず、ロダンのこの眼差しには震撼する。