映画「スゥイングガールズ」をビデオで見た。ネタばれの山なので、未見の人はご注意を。

この映画は多くの部分で「女の子をブスに撮る」ことでできてる映画で、その連鎖がいつのまにか幸福感に繋がっていくという構造になっている。全編を通じての怪しい山形弁が象徴的だけど、思い出すまま上げると

  • 始まってすぐの、落ちこぼれ高校生女子の夏休みの補習の様子のだらしなさ
  • それに続く「爆睡」の寝顔
  • 寝過ごした線路を戻る途中で水田に突っ込んだ泥だらけの様子
  • 腐った弁当を食べて下痢/中毒を起こす吹奏楽部員
  • ジャージで肺活量アップ訓練
  • 根本的にやる気のない顔
  • その中で無闇に肺活量のある眼鏡女子
  • ド下手な演奏で、ちょっとその気になった所で鼻を折られる
  • テキトーなバイトとその失敗
  • 松茸盗み取りとイノシシに追い掛けられる狂態
  • 歩行者信号のメロディ・卓球・バスのバックと総べてのリズムにジャズを発見してスゥイング
  • スカートズリ落ち/アイスのドカ喰い/脚全開で座る
  • 「●●産婦人科」のスポンサー名のついたダサダサ・ユニホ−ム
  • 最大の山場のコンテストの申込みをポカンと忘れる

逐一追っていたら果てがない。これらの「ブス」なシーンが、これでもかとくり返される。イノシシに追い掛けられるシーンは、この監督のおとくいの「バカなショットをマンガのようにストップモーションで見せる」演出だけど、一番新鮮なのは、高校生女子が集団になった時の「どうしようもなさ」が随所で見事に画面に定着しているところで、それはバイト先のスーパーに集団でチャリンコで乗り付ける所に素晴らしく現れている。さらに言えば、夏用のセーラー服の「女子」が大量に出ている映画なのに、そこにまったく「色気」がない、ということで、ことにミニスカから無造作に突き出た女子の脚を、こうも即物的に情緒なく撮れる人はそうはいないだろう。最高なのは某女子がアイスの食べ過ぎでホックがはずれてスカートがズリ落ち、それを目撃した中学生男子が自転車ごとひっくり返ってそのまま走り去るシーンで、一般的な意味とは違った方向で辛抱たまらない。


この「ブス」なシーンの連鎖は、すなわち偶然のトラブル/失敗の連鎖なのだけど、これらの出来事がなぜか彼女*1たちを幸福な世界へ導いて行く。この映画は同じ監督のヒット作「ウォーターボーイズ」の女の子版、と言われているだろうし、それは正しいと思うのだけど、僕が感じたのはむしろこの監督の失敗作と評されることの多い「裸足のピクニック」の幸福版、という側面だ。



ことに前半のトラブルの連続が作品世界を引っ張っていく様子は「裸足のピクニック」そのままと言っても良い。途中で落ちこぼれ高校生女子達が、自らの意志でビッグ・バンドを再開する転換点は特別に自発的なものだけど、その後も彼等を「転がして」いくのは、明確な意志と努力、というよりは先述の通り偶然とミステイクの積み重なりによるもので、「ウォーターボーイズ」が、コンプレックスをはねのけていくスポ根青春ドラマだったことを考えていくと、「スゥイング・ガールズ」での彼女・彼達の達成は意外なくらいあっけない。そこにやや物足りなさを覚える人がいても不思議じゃないけど、いわば売れて当然という状況下で制作されたと思えるこの映画は、実はすごい冒険をしている。ガールズ達が「スポ根で成功」してしまえばまったくの「ウォーターボーイズ2」になるのだけど、矢口史靖監督は「スポ根で成功」の構造を捨てた。で、「失敗作」の「裸足のピクニック」が召還?されているように見えるのだ。


「裸足のピクニック」はPFFでグランプリを取った「雨女」の後、矢口史靖が始めて劇場映画として撮った作品で、平凡な女の子が「偶然とトラブルの連続」でどんどん不幸になる。家族を失い、路頭に迷い、レイプされ、妊娠し、出産までしてしまう。何の因果もないのに、ただひたすらドミノ倒しのような不幸への一本道を転げ落ちていく。で、そのはてしない不幸っぷりが、矢口史靖独特のギャグの連鎖になっている。僕はこの映画が「失敗作」だとは思わないのだけど、やはり「無根拠に不幸に落ちて行く」というプロットは一般性を持ちずらかったらしく、いい評判を聞かないし、興行的にも厳しかったようだ。


この「矢口流ドミノ倒し」はそれ以降封印されていたわけではなく傑作「秘密の花園」でも展開されるし、僕は未見なのだけど「アドレナリン・ドライブ」でも試されていたらしい。しかし、矢口史靖を「メジャー」にしたのは、そういった「矢口流ドミノ倒し」が抑制された(その要素がないワケじゃないけれど)「ウォーターボーイズ」で、その後を期待された中で改めて自分の資質を市場にぶつけるあたりにこの監督の凄みを感じる。トラブルや「ブスな」事が起きるたび、「スゥイング・ガールズ」の登場人物はどんどん幸福になっていく。落ちこぼれ女子達が情熱の方向性を見い出し、仲間を獲得し、音楽を発見してゆく。「苦しい特訓」は序盤にコミカルに描かれるだけで、あとは「スゥイング」してゆく喜びだけが彼女・彼等をラストシーンまで連れてゆく。


この映画を見て、なによりもまず浮ぶ感想は「このような“単なる楽しさ”が味わえるような映画、というのは貴重なんじゃないか」ということだ。スジはシンプルなもので、たあいのなさがトラブルの連鎖の果てに伸びる真直ぐな幸福感の一本道となる。それだけの話しだが、下手なひねりを入れるよりは、とにかくそのまんま突っ切っちゃえ、という強い意志が画面に現れていると感じられる。最後のシーンが思いきりよく尾をひかずに終わっていることも、その意志の現れだろう。難を言えば、主演の上野樹里がいま一つブスになりきっていない(魅力的でない)のと、竹中直人の中途半端な存在だけれども、今やたらと耳にする「国際●●賞ノミネート/受賞」とかの「世界水準」の作品の際限ない退屈さと(美術と同じだな)、「エンターテイメントに徹しました!!」映画の底なしのつまらなさ(これも美術と同じ)を思うにつけ、「スゥイングガールズ」は明らかに尊重されるべき作品だ、と思える。

*1:彼、もいるのだが、むしろこの唯一の「彼」が作中最高の「乙女」だ