観光・イタリアルネサンス(8)

●シモーネ・マルティーニとリッポ・ミンメ

もしや、これが世に言う「ツンデレ」というものではあるまいか。


ウフィッツィ3室にあったマルティーニとリッポ・ミンメの受胎告知図について。知らなかった作品なのだが、そのどこかユーモラスな愛らしさに思わず現場で「カワイイいなぁ」と声を出してしまった。今回の観光で見たマリア像の中でも、そのキュートさはダントツだと思う。このblogでは基本的な縛りとして記述する作品の画像は提示しないことにしているのだが、今回は例外で、その図像を見てもらいたい。以下のURLを参照して下さい。

1300年代のシエナで描かれている。板にテンペラで描かれた作品で、周囲の豪華な工芸装飾は19世紀に再制作されている。中央上部の丸い絵が欠損しているが、ここには父なる神が描かれていたと推測されている。


この作品の可愛らしさは、なんといっても聖母マリアの仕種にある。これ程身をよじり「うっそー」という驚き、というか「ちょっと待った」な態度をとっている受胎告知図というのも僕は寡聞にして知らない。マリアは15,6才、ガチの乙女である。そんな所にいきなり「未経験かもしれないけど、アンタ妊娠したから。しかも神。」とか(羽とか生えてる天使に)言われたら、それはどっ引きだろう。マリアはちまちましい飾りのついた、少女趣味な椅子に座って左手には旧約聖書を(指で読みかけのページを押さえている)もち、右手は自分の感情を押さえるように服の襟にかけている。上半身は大きく引かれ、顔もややそむけながら視線だけを大天使ガブリエルに向けている。


告知するガブリエルは恭しくひざまづきながら、しかしその顔は慇懃無礼といった態度を示している。吊った眉、鋭い視線は「君がどう思ってるか知らないけど、僕仕事しに来ただけだから」という感じで、はっきり言うべき事を言っている。さらに面白いのはその告知の言葉が、真直ぐ矢のようにガブリエルからマリアにデータ送信されている事で「喜びなさい。寵愛を受けているおかた、主はあなたと共におられます」 (新訳聖書/ルカの1:28)とかなんとか書いてあると思える(ラテン語なんか読めないから、推測ですよ)。多くの受胎告知図で、このように画中にガブリエルの言葉が文字で描かれているパターンはあるのだけど、この「攻め」のガブリエルから「受け」のマリアに無線LANのように情報が突っ込まれているような形式は、この作品の特徴だろう。


このマリアの、聖告に対する一瞬の抵抗を、その上半身の動きで示しているのが、まぁ、いわゆる「ツンデレ」の「ツン」にあたる。送信されてくるガブリエルの言葉をかわすように体をそらし、身を守るように左手で襟を押さえる様子は、荘厳な祝福、それをさも当然と受け入れるマリアとなりやすい受胎告知図から、この作品を独特なものにしている。じゃあ「デレ」はどこにあるのかと言えば、顔をそらしながらも流し目でガブリエル、そして送られてくる天上(二人の頭上に精霊の集まる輪がある)の言葉を受け止める視線で、そのなよやかな手の動きも、ある種の誘惑のようにも見える。


技術的には極めて高度で、その素材も十分高価だっただろうと思える。こういうものが置かれていたゴシックの教会、というのは、当時の壮大なメディア・センターだったと想像できる。サンタ・マリア・ノベッラ教会やサンタ・クローチェ教会を見るとわかるが、そのエンターテイメント性はちょっと想像すると凄かったんじゃないかと思う。ゴシック教会は劇場であり、美術館や図書館であり、学校であり、仕事を発生させる職場でもある。良い説教はライブであり、各地を移動する修道士や聖堂建設の親方達はテレビのような役割を果たす。富みと情報が交換され、備蓄される。マリアやイエスは想像上のアイドルで、その図像に皆で「二次元萌え」していたわけだ。


ことさら今のカルチャーと当時の共通項を上げて何ごとかを言いたいわけではないのだけど、それまでのロマネスク-初期ゴシックに比べて、後期ゴシックからルネサンスというのはマリア像が信仰から消費の対象になっていった過程と見える。その美術的な結果にはまだ触れられないが、1300年代のマルティーニ以降、マリア像の変遷をざっと見ると1400年代のフイリッポ・リッピのマリア像は以下のように世俗化する。同じウフィッツィにある聖母子像だ。

更に1500年代になってラファエロ。世俗化が完成している。こちらはピッティ宮パラティーナ美術館で見たもの。

このマルティーニからラファエロへの変化を単純な高度化と見ることはできない。例えば映像上の仮想キャラクターが、解像度が上がり3Dポリゴンが緻密になれば魅力的(面白く)になるとは限らない、というのと相似しているかもしれない。とりあえず、このエントリでは僕が最もマリア像として好きになったのはマルティーニのツンデレ聖母だとだけ書いておく*1。関連する話しは、後でラファエロについて書く時に触れる予定。

*1:荻上なんか目じゃない