観光・イタリアルネサンス(10)
●ボッティチェリ2
ウフィッツィでボッティチェリの多くの作品を眺めながら思ったのは、この画家は「おかしな感じ」がする、ということだ。個々の作品の「おかしさ」もあるが、それが集まった時の、ボッティチェリの部屋とされている10-14室の存在そのものが「おかしい」。ジオットやマザッチオのような存在はそれまでの流れを切断するような形であるが、彼等の作品は広範な影響力をもち、様々に参照されながら新たな流れを成してゆく。また、彼等自身もゼロから仕事を始めたのではなく、相応に行われていた先行する試行錯誤から、自らの作品を生み出している。それが“まっとう”というものだ。しかし、ボッティチェリは違う。
ボッティチェリの作品が同時代、あるいはやや遅れて来る盛期ルネサンスと比べて特異な事の最初のキーは、画面に運き・歪みを持ち込んだことにあると思えた。初期の堅実な画面構成が、新プラトニズムをくぐりぬけるあたりから急速に複雑化/不安定化し始め、後期には異様な構図を見せてゆく。人物描写もそれと平行してうねり・傾き・引き延ばし・ねじれを引き起こし、1400年代にして1500年代のパルミジャニーノの「首の長い聖母」(1535年・ウフィッツィ29-30室)と直結するようなマニエリスティックな容貌を見せる。これは決して盛期ルネサンス直前の稚拙さによるものではない。ボッティチェリに先行するポッライウォーロは人体の解剖デッサンまで行い、既に確固とした人体構造の把握とそれに基づいた人物描写を行っている。ボッティチェリはポッライウォーロを十全に学んでいる。
ボッティチェリは「剛毅」(1470年・第9室)で注文を遅延させたポッライウォーロから仕事を奪うような形でデビューするが、これは先行してあったポッライウォーロ作品と区別がつかない構成及び人物表現をしている。しかし、しばらく後からボッティチェリの画面には人物のうねり・歪みが見られ始め、構図も動きをみせてゆく。一昨日のエントリに上げた「春」(1481-82年・第10-14室)で既に不安定さは全面的になり、「マニフィカートの聖母」(1483年・同室)では、凹面鏡が引き合いにだされるように、画面に明白な歪みが露出する。
ボッティチェリは流れに乗っていない。それが歴史順に展示のされているウフィッツィで、急に川が蛇行したような「おかしな感じ」を引き起こす。もちろん事後的に美術史を仮構する美術館の「流れ」が怪しいものなのは当然だが、現状のウフィッツィというのは、極端な言い方をすればボッティチェリのためにあるようなものなのだ。美術館制度におさまりきらないのがボッティチェリだとも言える。線遠近法の軽視が特徴的で、この1400年代を熱狂させたムーブメントの成果をボッティチェリは中期以降あまり使わない。1478年の「東方三博士の礼拝」や1481年のシスティーナ礼拝堂の壁画では部分的に1点消失の線遠近法があるが、いわゆる代表作群、「春」「ビーナスの誕生」「ざくろの聖母」「マニフィカートの聖母」(全て第10-14室)などその多くが人物の立ち位置で距離を暗示させる。これは国際ゴシックの空間表現に近い。「受胎告知」(1489-90年・同室)などでは遠近法が見られるが、これは1点消失の空間の不自然さを暴露するような描き方だ。例外としては1485-90年の「サン・バルバナの祭壇画」で、タイル張りの遠近法による床面がけれんみなく見える。
人物に関しては「ビーナスの誕生」(1485-86)ではあからさまに様式的になり、はっきりと人体の引き延ばし、ねじれがある。「ざくろの聖母」(1487年)の幼子イエス、また前出の「受胎告知」のマリアとガブリエル、「サン・バルバナの祭壇画」での人物描写にも同様の変形がある。肖像画にはデッサンの狂いも見られるが、それらが意図的なのではないかと思えるのは、「春」の花の女神像で作品のバランスを崩すように突然リアリスティックな肖像を描いたりする例があるからだ。「パラスとケンタウロス」(1484年)は微妙で、細部を見れば不自然な箇所は言いにくいのに、全体として歪みを感じる。この画家が以降の古典主義の中で忘れられていくのは必然だと思える。要するに、先行する試みを十分知りながら反動し、逸脱し、連続して後に繋がる者がいないのがボッティチェリだ。
このようなボッティチェリの異質さがもっとも極端に出ているのが「誹謗」(1490年・やはり第10-14室)という作品で、構成、人物描写、空間表現全てに渡って「正しさ」を放棄するような絵になっている。画家の晩年に起きたサヴォナローラによる禁欲的キリスト教に基づく政治動乱等にその原因を見るのが一般的らしいが、上述のように安定した時代でもボッティチェリはあきらかに“変な絵”を描いている。その結晶のような作品が「誹謗」なのではないか。
なんか難所だな。待て次回。