観光・イタリアルネサンス(12)

ボッティチェリ補遺

ボッティチェリについては一応一区切りつけたつもりなのだけど、なんか頭の中から離れていかない。1日のうち、ふと雑事や制作の隙間にぽっかりと、ボッティチェリの絵というよりはあの「変な感じ」が紛れ込んできて、正直ちょっと鬱陶しい。こういう、「現場での感触」というのは、大抵時と共に薄れていって、blogに何か書こうと思う時はその感触を思い出すのが大変なのだけど(僕がこだわってるのはこういう「手触り」だけで、それがなければつまらないエントリになる)、ウフィッツィの10-14室に関しては、もうそろそろ解放して欲しいというのが正直なところだったりする。


で、こういう事が自分の作品を劇的に変えたりするとカッコイイとは思うのだけどそんなことは全然なくて、今描いてる絵は結局去年の個展の延長にあるものなのだ。結果的にどこかに響いて来るものなのかどうなのかはわからないけど、そういう地続きの制作の合間にふと「あの変な感じ」だけがぽかーん思い出されるというのは、不思議な感覚だ。


ボッティチェリの絵、特にここで書いた「春」や「誹謗」は、コラージュの原理が先取りされている。セル画と書いたけど、美術史的にはコラージュと言った方が適切なのだろう。もっともボッティチェリは多面的だし、ウフィッツィやパラティーナで見られなかった作品も多いのだから、言い切るのもなんだけど。ロンドンのナショナルギャラリーにいくつか見たい作品があるようで、機会があれば訪れたいなと思う。って、いつの事になるやら。


●雑記3

超雑記。


ごはんの話し。せっかくのイタリア旅行なのだから、あんまりケチらないで豪華イタ飯食べ歩きツアー!とかになるべきなのかもしれないが、何分そういうクラースに所属していない。元々が舌に教養も品もない雑食人間だというのもあって、特に昼食は嵐のような作品の渦で消耗した体力の栄養補給に近かった。それでも全部マクドナルド(ちゃんとフィレンツェにもローマにもある)にするという、逆の意味での徹底性もなくて、適宜ガイドブックで調べて店に出かけた。


いきなり金の話しになるのも何だけど、フィレンツェ・ローマ共に外食は安くない。というより明瞭に高い。観光客向けの店にいったからか?とも思ったが地元の人向けのスーパーもあって、そこで売ってる食材も安くはない。消費税20%というのは伊達ではない、ということなのだろう。外国人向けの免税が可能という話しも帰国してから聞いたが、どのようにするのかは分からない。具体的には1食平均14ユーロくらいした。今はレートが変わったが、僕が出国する時は1ユーロ145円でチェンジしたから2000円オーバーはした事になる。普段日本では自炊ばっかり、外食といえば吉野屋だの日高屋ラーメンだのを愛用している身としては、ちょっと引いた。次に行く時はキッチン付きのレジデンスにしたい。


イタリアではランクによって、リストランテ、トラットリア、ピッツェリア+各種バールと別れているが、タイコードまであるらしいリストランテに行く気はハナからなくて、主に昼食はピッツェリア、夕食はトラットリアを利用した。トラットリアは、まぁ大衆食堂といったところ。ここでの平均が14ユーロという事になる。じゃぁピッツェリアがどのくらい安いのかと言ったら、1ディッシュ6-8ユーロで飲み物をつけたら10ユーロくらいはしたのだから、やっぱり安くはない。ピッツェリアはガラスケースに出来合いのピザやパスタ、惣菜っぽいものが並べてあって、それを指事すれば出してくれる。飲み物はボードにあるから、それを注文する。ファーストフードに近い。手早いしチップの気づかいもいらない(トラットリアでは会計は席でする。この時適宜感謝の気持ちに基づいて「お釣はいらないよ」と言ったり適当にユーロコインを渡す*1。上の値段にはこのチップは含んでいない)。


味に関しては最初のトラットリアでマストを経験した。ストロッツィ宮近くの家庭料理を出す店で食べたトマトソースのパスタと骨付き鳥肉のグリルがとても美味しかった。パスタはどうってことない、日本でいくらでも食べられそうなメニューなのだが、ざっくりとしたトマトソースが微妙に本場っぽくて良かった。とり肉はハーブの風味がして、やや食べにくいもののこれも美味しくいただいた。困ったのがつけ合わせのポテトで、オリーブオイルがしつこく腹にたまる。ボリュームはこの店に限らずどこも「これでもか」という量が出て来て、以降何度も苦しい思いをした。値段が高い、と書いたが、変な話100g当たりの値段を出せば安いのかもしれない。白人はやっぱり違う、と思ったのは、そういう食事をほっそりした美しい女性が隣の席でぺろりと平らげているのをやたらと見るからだ。いったいどこに入っているんだろう。


他に美味しかったものはいくつかあるのだが、いかんせん味を描写できる人間ではない。口に合わなかったのはどこの店でも出されるパンで、これはちょっと舌音痴の僕でも魅力的とは思えなかった。元々注文したものを片付けるのに苦労したから、あまり手をつけなかった。珍しかったものとしては同行していた配偶者が注文した、パンを様々な具材とともにスープで煮た料理で、こういうものは初めて食べた。美味しいとは思ったが、途中でやや飽きる感じだった。ちなみにこの配偶者は「お腹が苦しい、苦しい」と言いながら反省もなくデザートにムースを頼みやがって、これがまたコテコテに甘い。手伝わされた時は半泣きになった。


サンタ・マリア・ノベッラ駅近くに、日本で言うところのファミレスがあって1度入った。が、とにかくまったく日本人がいなくて地元の人だけ、観光客向けな所は一切なし、という店がここだった。ウエイトレスさんも非常に無機的な感じで、「土地のモン以外の慣れてないガイジン」に対する視線を一番感じた。そういう意味では貴重かもしれないが、実際観光客なのだから、味を考えてもお勧めしない。


妙な感想だが、日本のイタリア料理の店というのはかなり良く出来ているのではないか、という気がした。なにしろパスタが前菜という国だから、パスタだけ楽しみたいと思ったら日本の方が良いと思うくらいだ。ただ、イタリアで料理を美味しくしていたのはあの「ザックリ感」だと思う。日本のイタリアンというのは「良く出来すぎ」で、多分本場の大衆食堂で出されるものよりずっと丁寧で洗練されている。雑に作れ、というわけにもいかないだろうが、やや仕上がりが優等生なのかもしれない。目隠しでもして実験みたいに食べ比べたら、フィレンツェの店よりも美味しい日本のイタリアンなんて沢山あるかもしれないが、あのドカン、とした魅力は、まぁ難しいだろうなと思う。我々が計量もしないでざっと作る親子どんぶりやカレーライスに意識もなく埋め込まれた確信とか自信みたいなものが、イタリアのトラットリアにはあるわけだ。


ピッツェリアで注意したいのは「オレンジジュース」だ。まず大抵「ファンタ・オレンジ」が出て来る。なんでこんな所に注意しなければいけないのかと言えば、きちんと「フレッシュ・オレンジジュース」が出て来る所があれば、これがとても美味しいからだ。おもいっきりその場で絞ったような、果肉の沈澱したオレンジジュースをオリーブオイルの料理の前後に飲むと本当に爽やかで、やみつきになって一生懸命「フレッシュ・オレンジジュース」を探した。で、この意志が上手く伝わらないと、悲しい悲しい「ファンタ・オレンジ」を飲むハメになる。


ウフィッツィのカフェはバカ高で、どうってことないパニーニの安い味のチーズで「美術館付属の飲食施設が信用できないのは世界共通なのか」とも思ったが、ここのフレッシュ・オレンジジュースは良かった。朝8時半から午後2時3時まで、7時間近くもねばりに粘って滞在していたから、中休みの意味もあって高いのを承知でこのカフェに入ったのだが、窓からの眺望も込みならば、まぁなんとか納得のできるものだったと思う。飲み物で特筆すべきはエスプレッソで、イタリアで「かふぃ・ぷりーず」というと、小さな小さなカップに入った、メチャクチャきっついエスプレッソが出て来る。これはマジで気付け薬で、飲み慣れればキマルとは思うが、下手すると胃を壊す。柔な日本男児としては大人しく「アメリカン・コーヒー」をお勧めする(驚いた事に「アメリカン・コーヒー」というと通じたのだ)。


当然ワインの話しをしなければ片手落ちなのだろうが、残念ながらそういう贅沢はしなかった。ではノンアルコールだったのかといえば、これが阿呆らしい事に寝酒として連日地元のスーパーでハイネケンばっかり買っていた。イタリアワインの蘊蓄は、相応しい人が書いているだろうから、今度はこのスーパーの事でも書こうと思う。


てかフィレンツェ2日目が終わってないんですけど。

*1:こういうお作法は、学生時代の友人でかつてバックパッカーとしてヨーロッパを回り、今は起業してIT企業の社長になった井戸君に教わった