観光・イタリアルネサンス(19)

●サント・スピリト教会

前後したが、サント・スピリト教会。

サント・スピリト教会のファサードは、まるで大根をすっぱり包丁で切り落とした断面のようで、設計者ブルネレスキのプランが中途で切断されたという“事情”がそのまま表されているようだ。これほど内部と外部の印象が違う教会というのも珍しいのではないか。ファサードに限らず、側面や背面(後陣の裏)もノッペリとした単なる平らな壁で、レオナルドやベッリーニが賞賛したという話しから想像される美的ムードはまったくない。


教会をぐるりと取り囲む、連続する礼拝堂の曲面は全て隠され、平板な外観はむしろ貧相に映る。ドームは小さく、ファサード正面に立てばその存在はまったくわからない。要するに、サンタ・マリア・ノベッラや色とりどりの大理石が豪華に使われているサンタ・マリア・デル・フィオーレなどにくらべると、まったく冴えて見えないのがサント・スピリト教会だと言える。納屋のようだと言われたサンタ・クローチェの方がまだそれとわかる外観の個性がある。むろん、このサント・スピリト教会の断絶的な正面も個性といえば強烈な個性なのだけれども。


これが、内部に入ると一気に表情は増す。良くも悪くも観光地になっているフィレンツェの教会群の中でも、ここは思いきり「現役」の教会として、はっきりと信仰の場所として扱われていた。フィレンツェで初めて入場料を取られなかった代わりに静粛さを求められた(配偶者と私語を交わしていたら怒られた)。それだけで緊張感ある空間として感知できたが、視覚的には思いのほか垂直性が強い。これも、外から見ると側廊と身廊の2段に別れて高さが分割されて見えていたものが、内部では一気に身廊の高さにまで空間が吹き抜けていてそれが一番に目に入る、そのギャップによるのかもしれない。高い位置から差し込む午前の光が、真直ぐに連なる、やや太さを感じる列柱を斜に貫いて、くり返されるアーチと共に形成するリズムを複雑に見せる。グレーの柱は陽光を浴びたところでは、表面にキラキラと雲母のようなきらめきを見せるが、影になった所ではむしろ暗く沈み込む。


これはサン・ロレンツォ教会などでも感じたが、ブルネレスキの空間は非常に“クール”な印象がある。押さえられた装飾はあるが、例えば脇に別に付けられた聖具室は、黒と白の無彩色で仕上げられている。ここはブルネレスキの設計ではなくサンガッロによるものだが、教会本体の幾何的な構築、表面に凹凸をあまりつけないフラットな面構成etc.に合わせて作られていると言える。フレスコ画もない。サンタ・クローチェ教会は木造屋根が独特のニュアンスをつくり出すし、サンタマリア・ノベッラ教会は、僕が最初に見た教会だからかもしれないが、ちょっとした威圧感を感じた。そういった経験に比べれば、サント・スピリト教会にあるものはシンプルで現代的な感覚だ。


やはり異様なのはぐるりと周囲にある40もの礼拝堂で、外からはわからなかった、Rに窪みが連続しながらも個々に独立した空間を作る。現状ではここは1つづつにフィリッピーノ・リッピやギルランダイオなどによる祭壇画が飾られ、それぞれにロウソクを捧げ祈る場となっている。サンタ・クローチェ教会では主祭壇があった、十字陣の最奥も同様に小礼拝堂になっており、それらを順番に見て行くと、何か聖書を絵物語りで見ているような心持ちになる。主祭壇は十字のクロスする中央、上部にパンテオンのようなドームのある場所に、建築から独立して置かれている。


この主祭壇が奇妙で、他ではどこでも大きく置かれていたキリストの像がない。教会の中の別の教会といった具合に設置された、上部にアーチをもつ祭壇の中には香炉?のようなものがあり、扉があってそれは閉じられている。十字架とイエス像は向かって右手前に、繊細に立っていて存在感は薄い。先程書いた、脇に別に付けられた聖具室には2つも十字架がある(一つは祭壇、一つは吊られている)のだが、そこでもキリストは小さい(ちなみにここのイエス像はミケランジェロのものだそうだ)。


考えてみれば周囲を囲む礼拝堂も当初は出入り口としてプランニングされていたという話しもあるので、そこまで考えると教会の建物それ事体には、不自然なくらいキリスト教の影が薄い。建築だけを見てしまえば、そこにはキリストはいなくなるわけだ。もっとも、この教会のような、中央の身廊を列柱で囲む形式をバシリカというらしく、これは後で見たローマのサン・ピエトロ聖堂も同様の構造をしていた。このバシリカはもともとローマ建築で裁判所などに使われていたのを援用した形式ということで(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%AB)、サント・スピリトだけの特徴ではない。


それでも、これでもかとキリスト(教)の偉効を華麗な装飾で訴えてくるようなサン・ピエトロ聖堂に比べれば、やっぱりサント・スピリト教会での抽象的な空間は、独自のものと言えると思う。