観光・イタリアルネサンス(27)

●雑記5

ローマのトラブル大会。妙にイタリア慣れしつつあると思い込んでいた鼻が折れたのが、アッシジを見てからバスで到着したローマ初日の夜で、いきなりホテルチケットを紛失した。ロビーでトランクを盛大にひっくり返したが出てこない。あわやここまで来て派手な夫婦喧嘩がおっぱじまるかと盛り上がったが、フロントの紳士に事情を話すと「やれやれ」という仕種の後にパスポートを要求、見せたらあっさりチェックインしてくれた。セーフ。いや旅行中の夫婦のケンカは恐いぞいろんな意味で。ちなみにチケットを無くしたのは僕である。


泊まったホテルはやはりテルミニ駅至近、つまりサン・ピエトロ大聖堂から離れた所だったが、これはかえって便利だと踏んだ。車が飽和し道路が機能していないローマで確実に動くには地下鉄が一番なのだが、2本走る路線の結節点に宿を取ったことになる。むろん、テルミニ駅は帰国のために向かうフィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ビンチ空港)にも直行便がある。交通には不便しないだろう、とタカをくくった。部屋で一息ついた後、夕食のトラットリアを探すついでに、明日1日しかないスケジュールを生かそうとこの夕方のうちにパンテオンまで歩いていくことにした。昼間にアッシジ観光をしていたのにこの元気である。やっぱりハイだったのだろう。


しかしローマはフィレンツェとは比べ物にならない程の大都会だった。めっちゃ遠かった。共和国広場を過ぎたあたりまでは調子よかったが、ナツィオナーレ通りをいくら歩いても着かない。なにしろ治安が悪いと有名なローマの夜だから、腰のポーチはしっかり前にして完全ガードである。緊張して肩に力が入っている。ベネチア広場に出たあたりでもう疲れていた。昼間のスケジュールがここにきて出たのかもしれない。どうもこの辺で右折するらしいのだけど、どこも小さい通りで、かなりビビる。タクシーかとも考えたが、イタリアではタクシーは流しで捕まえられない。タクシープールで乗るしかないが、それがどこかわからない(後に目の前のベネチア広場にあったことが判明)。結局勇気を振り絞って小道を歩いた。かなりドキドキだったが、やがて妙にデカくてのっぺりして、それでいて古い建物にぶつかった。なんだなんだと思ったら、これがパンテオンのお尻だった。大きい。


前の広場はお祭りかと思う人出だ。ジプシーは日本の盆踊りで売っていそうな光る玩具をテキヤ売りしているし、みんなパシャパシャ記念写真を撮っている。この時間だと当然中には入れない。帰国してからここにラファエロの墓があったと知って悔しい思いをしたが、その場では大人しくオープンテラスになっているトラットリアでピザとローマ名物カルボナーラを食べた。しっかりとしたストーブ(横浜トリエンナーレにあったようなの)が置いてあって、寒くはなかったし味もよかった。が、ボリューム的には相変わらず苦しかった。そして帰宿の道のりがまた遠かった。よい腹ごなしになる、とかなんとか言いながら、ひいひい歩いた。しかも戻りのナツィオナーレ通りは登り道だ。テルミニ駅行きのバスに何度も追いこされて、乗せてくれーと半泣きになったが、この時間だとチケット売り場のタバコ屋が終っている。じだんだ踏みながらなんとか歩ききった。


翌日は8:45開場のバチカン美術館に8:00に行った。9.11テロ以降、荷物チェックで大行列ができると聞いていたから早めにいったのだが、それでも僕らがついた時には2、300メートルの列が出来ていた。ひとしきり驚いている間に、僕らの後ろに更に100メートルくらい並んだ。以降もみるみる伸びる。なにがずるいって、「係」の人が先に並び、そこに8:30頃ゆっくり来た団体さんが入り込んでくる事で、そこここでNOKIAの携帯が大活躍していた。美術館に入れたのは9時19分。チケットが今でも財布に入っていて、正確な刻印が確認できる。トイレの近い人は、それなりの準備が必要な行列だと思う。


一通り見た後、バチカンの学食みたいなセルフサービスのカフェでユーロの残金が少ないことを嘆く。ここからは俄然節約ビンボー旅行になった。と言った矢先、西日に美しく照らされたフォロロマーノを見た後に地下鉄・バスの1dayチケットをなくした。カンピドリオ広場の丘から降りたバス停前(昨夜前を通ったベネチア広場である)で、再び夫婦喧嘩の直前までボルテージが上がった。キター。が、ここで1人の老紳士が割って入って、なぜかバスチケットをくれるという。驚いて、いや申し訳ない…みたいなゼスチャーをしていたら、ガッと僕らの手をつかみチケットを握らせ「ジャポネ?ナカータナカータ!」といいながら手をぶんぶん振る。めちゃくちゃベタだが、ありがたく親切を受けることにした。何度も頭を下げ、ついでにスペイン広場に出るバスを教えてもらう。紳士に助けられてばかりのローマだった。ちなみにチケットを無くしたのはまた僕である。


スペイン広場近く、とアタリをつけて降りた場所は若干目的地まで距離があったらしく、一迷い。なんとか辿り着いたところで、残りの土産物をあさる。良い店をみつけたが、案の定ユーロが足りなくなった。カードが使える事を確認していたので差し出すと、「今機械が壊れててカードは使えない」と言われる。流石イタリアである。配偶者を残して僕が一走り両替えをしてこようと飛び出したが、いけどもいけども両替屋がない。あきらめて帰ったら、配偶者は店から閉め出されていた。時間がきたら、はいそれまでよ、だったらしい。うわっはっは。まぁ離ればなれの迷子には成らずにすんだ。最小限の土産は確保したと確認し(オリーブオイル、菓子類、サンタ・マリア・ノヴェッラの石鹸他)、あきらめて帰ることにした。


イタリア最後の夜という感傷はなかった。なにしろ明けて帰国するフライトも12時間、しかもミュンヘンでトランジットがある。行きのフランクフルトの乗り換えでは機内に日本人スタッフもいたし、webサイトに日本語の案内もあったから出力して来たが、ミュンヘン空港にはそういう助けがない(サイトも日本語バージョンがない)。気分的にはまだまだ一プロセスのこってるという感覚だった。翌日のテルミニ駅で、早朝の光に輝くレールの群れを見た時に少しだけ感慨を持ったが、列車に乗り込んだら今度はフィウミチーノ空港の構造をガイドブックで確認しなければならない。人生2度目の国際線チェックイン、しかも相手はイタリア人だ。締めてかからねばならなかった。


まぁこんなところでひとつ。スーパーの話しとかヒコーキの機内の話しとかは、いつか気が向いたらね。