観光・イタリアルネサンス(30)(最終回)

●参考図書3

帰国してから読んだ本。ほとんどルネサンス美術とは関係がない。今回の観光の記事を書いていて一番壁になったのは言葉の問題で、これでいいのかな、と考え考えのアップロードだった。多少は変えようと思っていたのだが、たいした変化もなかった。文が変わらないのなら姿勢も考え方も硬直したままだった事になると思うが、結果的にこのエントリを書きつつ読んでいたのは「作品をどう記述するのか」という事に関わる本だったと思う(そんなに意識していたわけでもないのだが)。


△オリジナリティと反復(クラウス)
絶版本なので古書で買うしかない。ロザリンド・クラウスの批評集。「ピカソ論」よりはずっと読みやすかった。簡単だ、ということではない。ここでクラウスは作品を一種の変数として扱っているけど、それが、ある広がりを産むエネルギーとなる。この本に納められている文章には、まだ「作品」というものに対する情熱というか緊張感みたいなものがあって、どれ程「意味内容ではなく分析の手付き自体」を強調していても、そこには個別の作品へのおそれが張り付いている。これが「ピカソ論」になると、なんだか分析のための分析みたいで読み進められないのだ。なんらかの形で復刊して欲しいけど、無理かな。


△基底材を猛り狂わせる(デリダ
アルトーの画集に書かれたデリダのtxtを抜き出し、独立した本としてまとめたもの。えーと、何が書いてあるのかわかりません。ポエム?連想ゲーム?とか言ってるのは、まぁ僕がバカなんだろう。元のアルトーの画集は立ち読みしたことがあるくらいだが、立ち読みが大変なほど大きなオブジェクトで、ちょっと買えないなぁ、と思った覚えがある。今でもそれに変わりはないけど、図書館でみたいなーとか、アルトーってあんまり知らないけどナニモノ?と思わせられた、ということは、このデリダのtxtは誘惑としては効果的だったのだろう。で、誰かこの本の要点をまとめて教えて下さい。


△ビーナスを開く(ユベルマン
以前もこのblogでとりあげた、ユベルマンボッティチェルリ論。当然「フラ・アンジェリコ」を読むべきだったのだろうけど、あんまり分厚いので本屋で尻込みしました。基本的にハンディじゃない本て嫌いなもので。再読の収穫は、「誹謗」の画面左端の裸体像が実は女性であった、ということに気付いた事。僕が書いたボッティチェルリのエントリでは、これ男性として書いてます。あっはっは。なにしろ現場でも帰国して図版見た時も、男性にしか見えなくて疑いもしなかった。直したかって?直してません。ここで、女性のヌードを男性と見間違えた、ということ自体一つの論点になりえると思うのだけど、書く気力なし。


イノセンス創作ノート(押井守
ボッティチェルリを思わず「セル画だ」と書いてしまってから読んだ本。別段美術的に参考になったりはしなかったけど(そしてやっぱり後から思い直したように、「コラージュ」と言った方が正確だと思ったけど)、本としては面白かった。押井守はアニメ的記号を心底回避しようとしながら、現実にはその記号を上手く「制御する」というリアリスティックな制作をしている気がする。その葛藤が一番見える戦場が、アニメーションにおける背景-都市-建築-空間の操作で、押井氏はそこにこそアニメ映画のイデアが埋め込まれるべき場所なのだ、と書く。自らキャラクターを動かす宮崎監督の特異性も浮かび上がる(というより、宮崎監督を鏡にして、そのようには出来ない自分がどうしたらいいかを押井氏は探ってきたのだ)。キャラクターの目が大きくなったのは貧乏のせいだとか、興味深い点が沢山。


△畏怖する人間(柄谷行人
もう何度目の再読だろう。文章に行き詰まって、この本を読んだところで参考にもならなければ勇気が出る、というものでもない。ただ、そのような場面でくり返し読んでしまう本がある、というのは、たぶん、幸福なことなのかもしれないと思う。


△絵画の準備を!(岡崎乾二郎松浦寿夫
増補版が出ていたので改めて購入。買ったのは年末だが、年越し-帰国後と、思い返してはパラパラ断片的に読んでいた。様々な先行する作品群が、時代や様式、場所から切り離されて、あれよあれよと召還されては組み合わされ、新たな断面を露出しては、改めて空中に投げ出される。その贅沢なことって言ったらない。で、そのような論の進め方が、なんだか二人の画家の絵のように見える。けっこうよく分からないところがあるんだけど、その割には繰り替えし読んでしまう、変に中毒性のある本だ。続編は携帯で配信とかしないかな。ページ単位でモバイルしたい。旧版に比べて重くなり過ぎだ。


以上でイタリア観光のまとめを終える。今に始まったことではないけど、このblogは僕と言う絵描きのアトリエの廃棄物置き場みたいなものだ。その上で、リサイクル可能なものがあればいいなと思う。